昨日のせんせ*1のハナシ

〇自分が入学した時、入学生は自分一人だった。他の学年も0〜2人という少なさだった。
〇当時の講師は柳原義達先生と土谷武先生だった。両方非常勤講師で、週一回だけ教えに来た。
〇全学年数人しかいなかったので毎週酒飲みに行ってた。
〇4年までずっとモデルの授業だった。木や石、鉄等はやったことがなかった。
〇卒業後、石を三、四年やっていた。
〇石をやるような人間ではなかった。華奢な人間だった。
〇やっているうちに石を自由にできるようになっていった。が、自由にならない経済的な問題と比べてもっと自分の自由にならない素材を使うほうがいいだろうと思うようになり、アルミをやるようになった。
〇偶然展覧会をやる機会に恵まれ作品としても転機を迎えた。
〇同じ面積で、水を1とすると石は2.7、鉄は8、鉛は10の重さがある。
〇展覧会場はとても広く(お声がかかった)木下さんと建畠朔弥ではやりきれないほどだった。木下先生はこのスペースを生かす(場負けしない)ものを作らないと、と思いそれまでとは違う方を向いた。
〇(金銭的な問題と折り合いの付く素材で)最も重い鉛と最も軽い空気(実際はヘリウム?)を組み合わせてやろうかと思いやってみることに。
〇鉛で箱型の立体を作り、その中に空気を入れていく。そうすると鉛が膨らんでいく。頑丈に見える鉛が軟弱に見える空気に形を変えさせられる面白さを知った。
〇弱く見えるものほど強いということがあるのかもしれない。集団よりも個人の信念の方が強いことがあるように。空気が鉛や鉄を曲げることを知ってそう学んだ。自分の作った作品の中から学ぶ事が大事。他人の作品を見て学ぶ事とは意味合いが違ってくる。
〇アルミは鉄よりも柔らかく、空気が曲げた事の面白さが下がる気がして今度は空気で鉄を曲げようと思った。
〇作品の名前は割と無頓着だった。作品名を忘れてしまうこともあった。数字を使った題名が多かった。見る人にとって優しい題名がいい。
〇空気で鉄材を曲げると中の気圧が高くなり、しまいには爆発してしまう事を経験で学んだ。危険な方法なので水で曲げていく方法に切り替えた。
〇普段見ている物の中に制作のヒントがある。何気なく見過ごしているものが多い。
〇彫刻はこの世界にあるものの形から借り物をすることはある。しかし、他の彫刻家がやったことを真似したり借り物をするのはタブー。なぜなら彫刻家それぞれに見つけた思想性、信念、世界観というものがあるのだから。懸命にやっているほど敬意を払うもの。
〇見た目だけ真似をしても文化は育たない。日本の文化に軽薄さがあるのは自己性の弱さが原因。
〇学生時代に目立たない奴の方が卒業後、彫刻続けている不思議さ。
〇自分は続けられない条件を満たすまで彫刻辞めない。奥さんに毎日彫刻やめろなどと言われていたら続けられなかったと思う。
〇頑張り過ぎると続かないのでは。
〇自分の中でこれは絶対にやらないとか、これは続けるというような決め事を作った方がいい。
〇死ぬためにはエネルギーがいる。人間は力尽きて死ぬのではなく、死ぬエネルギーが溜まると死ぬのではないか。心臓を止めるエネルギーを溜めているのではないか。
〇年を取ってきて社会に対してよりも自然に目が向いてきて作品も変わってきた。
〇彫刻やってても損することはない。自分は勝手に好きな事をやっているだけ。
〇お金はなんとかなる。不思議なことに。