石遊び

彫刻をやっていると色々な事を考えます。
子どもの頃遊びでやっていたようなことをいまも彫刻に導入してやっています。
子どもは何で意味のないことを一生懸命やるんだろう。それは一見にして意味のないように見えるだけで子どもにとってはとっても大事なことなんだろう。
そして大人になるということは子どもの頃にこだわっていた一見意味のないことに対して、はっきりと意味のないことだと烙印を押すことなのかもしれない。
先日木を買いに小田原に行ったとき、彫刻の仲間達と一緒に海に寄った。
そして砂浜で遊んだ。石っころを海に投げたり、砂山を作ったり、石で山を作ったりした。あの時に自然の中で遊びを通して自然と対話する方法を思いついた。
何のことはない。自然そのものが遊び道具になり、実際は自然に僕が遊ばれているだけなのだ。僕はかまってもらっていた。
僕が楽しいということだけじゃなかったんだ。
今度、その山を色んなところに作ろうかと思った。昔から山を作り続けてきたんだなと、分かる。作品を見返してみると自分では意識せずにやっていたことだった。
そして、自覚的になってみて、山を作るという行為が自分にとってかけがえのないものだと知った。
その理由は簡単には分からないだろう。これからふとした瞬間に悟ることかもしれない。