備忘録(自分の作品メモ)

「千回のお辞儀をするアートワーク」(映像:8分52秒) 2010年
「奈良アートプロム2010」出展作品。
「千回のお辞儀をするアートワーク」は名前の通り、千回のお辞儀をするパフォーマンスを行う映像作品である。奈良といえば、日本最古の仏教都市である。その奈良で現代アートを展開する時、仏教的なものを自分の中にインストールしたいと考えた。仏教の修行では千回何かをするという形式を持つものが珍しくない。例えば、千日修行や千回題目(念仏)を唱える。千回滝に打たれる、などである。千回のお辞儀は相手を尊び、自分を尊び、生きる事への感謝。命の連鎖への感謝へと続くだろう。
 お辞儀という行為は、「挨拶」、「反省」、「謝罪」、「尊敬」など様々な意味を内包している。今回は相手を尊ぶ気持ちを持ってのお辞儀を展開する。そして相手を尊ぶ行為が、「自分の物性を磨く行為としての修行をする」パフォーマンスにつながるよう展開していく。映像だけをミルと謝罪をしているように見えるが一番の目的は感謝の表出にある。
 最近迄生きてきた事に素直に感謝するようになってきた。自然や草木、動物、親や兄弟、友人や先生など、周りの人・もの・事との「つながり」を意識するようになってきた。
美術を続けることの大変さを身に染みて、幾度も『これでいいのか、このような生き方でいいのか』と疑問を感じて来た。そう思うほど、自分の家族や応援してくれている人に対して感謝の気持ちを抱くようになった。
 作品は「行為」の部分にあるが、映像作品として発表する。映像は編集で嘘をつく事が可能だ。だからこそ、取り直しは一切行っていない。一度一度のパフォーマンスはNGを含め、撮影している。スポーツの世界で「やり直し」がきかないのと同じような緊張感をもって行為を重ねた。

 千回のお辞儀をするというアイディアに至った経緯は上記したが、正直やりはじめた頃は千回までの数が途方もなく感じられ、自分で設定した目標に対し、絶望的な気分を味わっていた。『これ、ちゃんと終わらせられるのかな』と何度思ったか分からない。パフォーマンスの後、映像編集も入ることを考えると心配事が多かった。
 しかし、だからこそ、やる価値があったのだろう。NAPグループ展には「ザ・great 盆地フロンティア」というキャッチフレーズがついていた。日本最古の古都奈良に「開拓精神」、「チャレンジ精神」、「改革精神」そんなものを展開していこうとしているのだとすぐに察知した。僕はこのテーマに沿った作品を作りたいと強く意識した。だからこそ、僕も今までやったことのないことに挑戦してみようと思った。失敗したっていいじゃないか、挑戦しないよりは。パフォーマンスでやってみようという気持ちになった。

 千回のお辞儀は無事達成された。この作品を見た人も達成感が感じられることと思う。
そしてパフォーマンスだけをみると謝罪をしているのか、感謝をしているのか。ヘットハンティングをしているのか分からない。この解釈の多様性も本作品の面白さの一つと考える。




「富士見町」(映像:2分4秒) 2011年
「奈良アートプロム2011 映像コテンパンダン展」への出展作品。
現代美術展の映像は長くなりがちなので、短く作ろうという事を意識した。
ある駅からある駅までの一区間を車窓から撮影した映像をもとに、時間をずらしながら多重録画した作品。
鑑賞時間の短さ、現実感のなさ、 色彩の美しさ、 ハーモニーの4つを強く意識し“絵画の様な”映像作品を目指した。




「まっこうずーこうしょうこう」(映像:5分9秒) 2011年
HANARART2011出展作品。
寺院の正面でお香(線香)の煙を頭にかぶっている人を見かける。この事例を元に 「仏教における慣習」をテーマに作品制作する。仏教の持つ要素を抽出し、簡素な形で表す。 それによって特定の宗教・宗派を超えた「かたち」が表われてくるのかもしれない。




「Memory of The Great Eastern Japan Earthquake 2012」(映像:7分48秒) 2012年
2011 と 2012 年は天災と人災の年だった。 この大惨事に囲まれた社会の中で、アーティストとして何が出来るかを考えている。 その問いへの回答として、前回に引き続き「お香」を使用した作品を展開する。 お香の煙から放たれた「祈り」から「小さな笑顔」が生まれることを願って。
震災後、1ヶ月に1回ほどのペースで被災地に通い、色々な事をやってきた。震災以後、私自身の考え方や作品が変化してきた。これまで自分がやってきたことが小さい事に思えるようになった。
アーティストの社会的意義とは何かと自問自答を繰り返している。アーティストはこの社会で無駄な存在では無いとは思うが、かといって胸を張って言えるほどのものはあるのだろうか。
今の私に出来る小さな役割として震災を通じて体験した事象を抽出する。

震災直後から月に1回ペースで震災地に赴き、ボランティアをしてきた。
そのうちの2012年の一部の記憶を映像化。時間、場所などへの解説を加えず、また単純な時系列やストーリーでも並べず、「思い出す」ようなイメージにした。私にとっての震災の記憶とは一体何だったのだろうかと検証せざるを得ない。震災地以外では1年が経ってもう忘れかけられているように感じる。
私自身の中に住まう忘却が恐ろしい。少なくともアーティストとして作品を作ることによって記憶していかなければならない。