映像

パーティーで映像を流してて思った。自分の作っている映像はパーティー向きではないと。そしてライブ空間の中で自然に生まれて来る映像もあるし、ライブ空間で育って行く映像もあるのだろうと。僕はそちら側ではない。
客は映像を見るために来ているわけではないのだから、仕方がないが、無視される映像(けれどないと寂しい)から何を得るのか。
学ぶことは自身にしか課せない。あのサラリーマンのようにアホみたいに映像を作っていた日々。少しでも他人の目に触れる物に対して懸命に作ろうとする意志。
人は誰にも命令されない事を自身に課す。自分で目標を設定して走る。


疾走。
そして映像の中で徳差健悟の音楽に乗って光になった。そのなんとも気持ちの良かった事か。


五月に大学のギャラリーで展示がある。何かが終わると同時に次が始まる。
いつもそうだった気がする。
五月の展示では大学院前期修了展以降、新作が多過ぎるので厳選しなければならない。
作品を作っている量に対して展示が少な過ぎるからだ。
展示をする度にかさむ出費を考えると仕方がないのだが。
ともあれこれからまた平行して様々な事をしなければならない。

大地の芸術祭制作
・森塾の活動(デザフェス、森羅番帳、アートワーク)
・大学のギャラリーの展示
・博士論文
・新作DVD
・CD作り

日々のアートワーク。芸術の神は私に無名を与えた。彼女は気まぐれで私が芸術の神に片思いする様、仕向けている。