人間がかなりの多くの
生命を無駄に扱っている事が事実だとして、
(食肉をすること、食肉にしたはずのものを食べないことがかなりいい例だと思いますが)
その事実を何か分かりやすい例えを持ってして形にすること。

それは芸術にとっては
詩、音楽、文学、絵画、彫刻、華道、書道、
写真、映像、放送
などで表すこと。
ラスコーの絵画を始め、かなり昔の芸術から存在していたように思います。

で、実際に犬を殺すことがアートかどうかではなく、
その命の大切さを知らせるためにどのような手段を使うか?
そのアーティストが犬を殺していなかったとしても
実際、人は残酷な行為を日々繰り返している。意識、無意識に関わらす。
その無意識の部分を表面化すること。
そして真実を表すこと。

それらは詩、音楽、文学、絵画、彫刻、華道、書道、
写真、映像、放送などの媒体とを通して芸術として
昇華することは長い間人類の(芸術に対する)テーマであったでしょうし、これからもそうであり続けるでしょう。

私個人は犬を殺すことに反対ですが、
南京大虐殺の時の日本兵が刀で現地の人の首を切って
その首を持っている「写真」を見た時はかなり衝撃を受けました。
今回の犬を殺したを見た時のその昔のことを思い出しました。

さて、私たちの多くは犬を殺したこのアーティストを非難するでしょうが、私たち自身そのアーティストを責める権利があるのでしょうか。その責めた人たち全員が、一体どのくらい今まで生命を無駄にしてきたか、反省したことはあったでしょうか。
もしくは多くの生命を救ってきたのでしょうか。。
逆に自らのエゴイズムを見直すきっかけになったのではないか?

そのようにかなり多くの自意識を発動するスイッチとしての
役割を果たしたように思います。