13日目。バダヴィーでの授業

ダヴィーでの授業。
たった一日の授業だったがとても価値のある、重要な授業だった。
というのも今日来た生徒の7割がナハル・エル・バレドから避難して来た人々だった。
日本人が訪れ、美術の授業をするということは美術の授業以外の意味が含まれてくる。
たくさんの人が死んだり、避難する中で子どもたちの心は非常に不安定になっている。
その中で自分たちが孤独じゃない、誰か見てくれている人がいる、見捨てられていないんだと感じることができることはとても心強いものなのだ。
そのことは現地のソーシャルワーカーやカセムさんも言っていた。
国を失い、(レバノンに逃げて来たのに)キャンプでの住処を失った彼らの絶望は私たちには想像もつかない。
その同じ苦しみを味わうことはできない。
だけれども私たちや私たちのできることをやる。
美術という手段を用いて子どもたちと交流ができるのだ。
彼らの明るい笑顔を一時的にではあるにせよ、取り戻すことができるのだ。
ソーシャルワーカーのホワイダさんはとても残念だ、もっと授業をやって欲しいと言っていた。
自分の都合さえよければ明日も明後日も授業を行いたかった。
しかし、自分は明日帰らなければならないし、授業の予定は最初から一日限定だった。
ダヴィーでの授業はブルジバラジネのそれとはまったく違う生徒の意気込みというか、集中力を感じた。
もちろん個人差はあり、途中で帰ってしまう子もいるし、さっさと絵を終わらせてしまう子もいる。
しかし、こっちが授業終わりだといっても続けているあの姿はブルジバラジネでもシャティーラでも見ることのできないものだった。

特に自分の受け持った教室の女の子がすごく印象的だった。
その子は描くスピードは遅いのだが、自分のペースを守りながら丁寧に描いている。
そして、自分の納得のいくまでやっているのだ。
最初の花の絵も次の等身大の絵を終わったあとにまた絵を取りに戻って描き足していた。
彼女は自分の絵が完成でないことを知っていたのだ。

アートキャンプを行っていると各キャンプに一人はこのような才能のある子に出会う。