あとがき

この日は午前中に岩手に着き、厳美渓に寄り、平泉の温泉に入る。500円也
それから高館義経堂(たかだちぎけいどう)、中尊寺と回った。

中尊寺は西暦850年に建立され、天台宗の東北総本山であった。1105年に藤原清衡(きよひら)*1が21年の歳月をかけて復興させ、都から独立した一大仏教王国を築いた。
中尊寺金色堂(こんじきどう)は国内初の国宝に指定された。

中尊寺の中でお昼ご飯を食べ、それから秋田の大曲花火大会に向かった。岩手から秋田に向かう途中の山道で雨が降ってきたので花火大会は大丈夫かなと思ったが、秋田に着く頃には無事に雨も止み、花火大会を楽しむことが出来た。花火大会は関東と違う花火の種類が上がったりして新鮮であり楽しめた。
花火大会が終わるとまた岩手に戻ることになった。途中の山の中の道の駅で車を止め、眠った。大曲花火大会があったので、道の駅は24時間営業していた。お店の人がなんだか大変そうに思った。

*1:ふじわらのきよひら・・・清衡は、安倍一族の血を引いて信望があったことを背景に陸奥押領使となり、奥六郡を支配。後に江刺郡の豊田館から平泉へ進出し、更に南下の勢いを見せた。関白家と庇護関係を結んで藤原姓を名乗り、栄華を極める奥州藤原三代黄金文化の礎を築いた。長治2年(1105年)中尊寺一山の造営に着手。21年の歳月を掛けて完成させた。金色堂は天治元年(1124年)、69歳の時に完成。その4年後の大治3年(1128年)7月17日、73歳で生涯を閉じた。金色堂中央の須弥壇の中に清衡、基衡、秀衡の遺骸、泰衡の首級が納められているが、遺骸の調査結果から、清衡の死因は「脳溢血またはそれに類する疾患」とされている。