練馬新聞に掲載されました

練馬新聞に掲載されました。(2018年2月10日発行)
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〈本紙創刊70周年記念〉「地域フォーラム・第1回江古田リエゾン座談会」

 

前文

練馬区は12月、前川区政2期目へ向けたメッセージを発表、街づくりを軸にした「グランドデザイン構想(都市・暮らし・区民参加と協働による街づくり)」を公にした。本紙では、これを受けて早速「江古田フォーラム」を企画立案した。いわば、「江古田を藝術の街にする!」という前川区長の提案に賛同する方々――とりわけ牽引車となる地元3大学の代表者、街づくりに積極的な地元の文化人・団体代表の方々に集まって頂き、「藝術の街・江古田」を検証する〈リエゾン座談会〉を開催した。予想を上回る参加者が参集した背景には昨秋、江古田10商店会が力を合わせて実現した「江古田音楽祭」を一過性の花火に終らすことなく、その想いを、“江古田の新しい街づくりに活かしたい”という情熱が結実したからだ。

 

A ――限られた時間内で多くのテーマを議論し、掘り下げて行くため3人の方に〈プレゼンテーション〉をして頂き、進行します。1つは、「藝術の街・江古田」を目指す前提として、「江古田が歴史的持つ街の性格」を分析して貰います。そのため練馬区地域文化部から小金井課長に参加して頂きました。2つ目は、「では江古田が目指すべき、藝術の街とはどんな街なのか!」、について、地元で既にアート活動を始動している日藝OBの三田村龍伸氏(江古田ユニバース代表)から「モデルは下北沢だ」の見解を発表して頂きます。3つ目は、新しい街づくりを加速するため、「江古田商店会が元気になって貰う秘策について!」、小泉徳明春日町本通り商店会会長から伺います。

小金井靖地域文化部文化・生涯・学習課長 “江古田の歴史的DNA”を紐解きながら、議論の口火を切ります。住んでみて思った事は、街のイメージは若い人にとって尾崎豊、我々世代ですと石原裕次郎のイメージ、少し尖がった先鋭的なものを受け入れる事が出来る街という感想を持っています。座談会であるこの会場「茶平」ですが、以前は郊外レストランの走りであった「メキシコ」という店がありました。駐車場のあるネオン輝く郊外レストランで、若者が外車で乗り付け、たむろする――そんなイメージの郊外レストランが江古田の街にもあったのです。

昔に遡れば、地名は中野区にも江古田という名がありますが、その本村に住んでいた方が江古田で新田開発をして誕生して誕生したのがこの練馬の江古田です。江戸時代になると市中と直結した清戸道があり、並行して千川上水が流れ江戸の御殿まで繋がっていくという要衝の地でもあった処です。当時、百万人を擁する世界有数の都市・江戸に蔬菜類を供給する近郊農村として発展してきた地域です。

大正に入って西武鉄道の前身・武蔵野鉄道が開通、11年には根津嘉一郎氏が現在の地に武歳大学の前身の学園を創設、江古田の駅も出来た訳ですがその後、現在の場所に駅が移ります。昭和に入り武蔵野音大の前身が開校、その後、日藝も移ってきて出来た街が江古田の街の成り立ちで、大学の存在が時代の最先端も取り入れるハイカラな街となっている。

こうした街のもう一つの要因が関東大正震災と戦災でした。都心部から多くの方がより安全な郊外を求めて移り住むようになった。そうして江古田の街では、学生や新住民を受け入れる風土も醸成されていった。

住宅で云えば、震災復興で同潤会住宅が出来、併せて北口に生鮮・惣菜を扱う市場も誕生した。いわば、ドーナッツ化現象により江古田も新しい住宅地として生まれ変わり注目されるようになった。そうした時代のうねりの中で学生の街・江古田は、他と違って新しい力を持ち育って来たと云える街です。

現在、江古田は、3大学が駅を挟んで街を形成していますが、これまで見て来たように都市計画的に大学を誘致して作られた学園都市ではなく、自然発生的に生まれ、古いもの中に新しいものを取り入れて発展してきた街で、それが大きな特徴となった街ということです。今後、練馬区としては、街の特徴である“藝術の街”を発信し3大学や地域の方々と手を携えて街づくりに一緒に行動していく、そのために施策を展開して行きたいと思っております。

 

三田村龍伸江古田ユニバース代表 最初に私達が行ってきた活動を紹介しますと、大学(日藝)を卒業後、2010年に「江古田をアートのまちに」という合言葉で江古田ユニバースを立ち上げました。とりわけ「クリエイティブ・シティ」というコンセプトに掲げ、活動を続けて今年で8年目に入ります。大学で学んだことを実社会で活かす、地域貢献出来るとすれば、大学のある江古田で活かしてみようと思ってやってきました。練馬区のまちづくりセンターの支援や古美術「ギャラリー古藤」の空間を会場にして、現代アートを中心に街の活性化に繋がる活動を続けて来ました。

さて、下北沢は本多劇場を代表とする大小の劇場が集積する街です。江古田との近似性では、近くに大学が点在していることや都心との距離が近く、電車で池袋から6分とアクセスが良いこと、商店街も中央の大型店舗ではなく、個人経営の店が商店街を形成している点で、共通点も少なくありません。

今後、少子高齢化が進行する中、3大学も2018年問題を抱え、多くの学生を呼び込み、世代を越えた来街者を増やして元気のある街にしていくためには、アートを軸に再度、街を耕して行けば活性化への道は意外と近いのではないか、と見ています。例えば、横浜でのビエンナ―レや各自治体の街づくりでの成功事例をみると観光事業とのリンクし、かなりの経済の波及効果をもたらしています。

今後、江古田をアートの街、藝術の街づくりに本腰を入れて行くためには、多くの課題も横たわっています。まず、多くの人材を繋げて行くプロデユーサ―の選定です。次に、常設の事務所や展示場、イベントが出来る空間の確保が欠かせません。そして、最後は、何といっても運転資金です。個人の情熱を頼っているだけでは、長続きしません。

山嵜哲哉武蔵大学学長

本日のテーマは、「今後、新しい江古田をどう作っていくか」が課題だと思っています。ひとつヒントになる事は私達の大学卒業生もそうですが、各大学で江古田に戻ってきて地元でご仕事を始めている方が増えているこの際、「卒業生同士のネットワークを作り、その辺から新しい街づくりに着手してもらうのもいいのでは」と想いながら、聴いておりました。

提案としては、今後、練馬区と3大学が街づくりに関する「地域包括連携の締結」を行う事です。そうすれば、街づくりに本格的に着手できますし、大切なことは、街づくりへ向けた、組織作りで、たとえ、担当の人が変わっても継続して行え、取り組めるからです。

――大変、核心の突くご発言、有難く拝聴しました。是非、「区と包括連携・締結」へ向けて、次のステップを踏んで頂きたい。

木村政司日本大学芸術学部学部長 江古田は、先程、お話にあった様に、駅を中心に3大学がトライアングル状に立地する大変、恵まれた街であり、これは大きな財産です。学園祭はじめ、3大学が手を携えることで、商店会だけでなく街の活性化に大きな成果が得られる街だな、と思っています。

先日、西武鉄道さんからご提案を頂きました。それは、沿線の高架下のスペースを使って日藝の学生達の創作展示や活動の場に活用してみてはどうですか、という、いわゆる「アトリエ村」構想ですね。これが練馬の街づくりに役立てられればと考え、検討して頂きたいと御願いしたところです。

学部には、「日藝アートプロジェクト(NAP)」という事業があり、実施してきました。活動の狙いは、研究活動と教育活動が一体となって推進できる支援活動です。現在、新潟の十日町に出かけて学生達が雪掻きをやりながら、大地の芸術祭としてアートの力で地域活性化の貢献に努めている処です。

――是非、「江古田を藝術の街にしよう」というプロジェクトをNAP事業の一つ取り上げて頂き、力をお貸して頂ければ、有難いですね。

福井直昭武蔵野音楽大学副学長 私も46年間、江古田に住んでおり、他の街と比較する事は出来ませんが、3大学がある割には、江古田の街は必ずしも若者の街だけになっていない。随所に結構、年配の方が行ける店も多いので、その点で下北沢の街とは異なりますし、江古田の街、そのものの特徴ではないでしょうか。

いわば両方の世代の方々が混在している街が江古田なのではないか。どちらかに偏らない判然としないのが逆にそれが江古田の魅力になっています。その意味で司会者が昭和30年代に代表される“昭和の街”がテレビや映画で取り上げられてことについて言及していましたが、江古田の街もそうした良き時代の人情を残している数少ない街と云えます。

――武蔵野音大に一つお願いしたい事は、昨年1月、あれだけ立派なキャンパスを竣工させ、最上階にある「展望ラウンジ“bis”」は、東京スカイツリーを望める場所と聞いています。是非、月1回、記念日を設けて、住民に開放してみてはどうでしょうか!

B鈴木浩之スズキ病院理事長兼院長 三田村さんのプレゼンテーションを聴いていて印象に残ったのは、「学生の街に必要な事は学生の姿であり、学生が溢れる事が大切だ」という話でした。それなら「3大学が手分けして、1日千人くらい学生を街に出す計画を立てたらどうでしょうか」。そのため3大学が交換授業を開講、自由に受講もできるようにする。そうすれば街を活性化させ、江古田の商店会を賑わすエネルギーとなるのではないか。それから三田村さんのようにアーティストの方々が江古田に集まり、空き店舗を活用して創作活動できるようにすれば、ヨーロッパ並みの“藝術の街”が出来、江古田は、素晴らしい魅力的な街になる可能性を感じました。

――武蔵大学の力を借りて「江古田ハチミツプロジェクト」を全国に情報発信している谷口代表。今年の冬は、厳しい冬です。蜂は、寒さに弱いと聴いていますが、大丈夫ですか。

谷口紀昭江古田ハチミツプロジェクト代表 何とか6万匹の蜂達は、寒さに耐えて、越冬できそうです(笑い)。私達のプロジェクトもお陰さまで9年目に入り、スィ―ツを中心とした商品開発も9品目まで増やすことが出来ました。三田村君の藝術活動もそうですが、江古田の文化活動・藝術活動は、すべて「草の根」活動が特徴です。また、それがひとつの限界でもありますね。

ですから、もう一回り大きなムーブメントにして行くためには、武蔵大学の山嵜学長が仰ったように組織的な支援が必要です。日常的に集まって参加者が情報交換できるセンターの設置や一緒に運営出来るまとまった資金の調達等です。人・モノ・環境と徐々に条件は、揃いつつあるので今がチャンスですね。

小場瀬令二練馬のみどりまちづくりセンター所長 江古田の街が持つ可能性について私なりに整理して云いますと、「学生の街・江古田は、都市計画的に大学を誘致して創られた街ではなく、自然発生的に形成されて出来た街だ」という小金井さんから指摘がありました。これは、大変、大事な指摘で、人工的に創られた代表がつくば学園都市とするならば、江古田はいろんな時代のいろんな世代が集い、形成してきた歴史のある街です。その上、毎年、新しい新入生が入ってきて、毎年、卒業生が育っていく。こうした新陳代謝は、街を活性化させるに十分な条件で、江古田にはそれが潜在的に揃っているということです。街が発展するもう一つの条件は、「住い・働く・憩う」の3つが揃っているかどうかです。下北が街として、あそこまで発展できた要因は、大手私鉄が2本クロスして入っていますが、幹線道路の方は、整備されておらず、逆に街の魅力を増幅させたといえます。同様に多くの劇場はない江古田ですが、整備された幹線の内側はゴチャゴチャした道路で出来ています。いわば、歴史的集積のある学生の街ですので今後、逆に強味となって行くと見ています。

――大変わかり易く、街づくりに於ける「ONとOFFの関係」を説明して頂きました。

小泉徳明春日町本通り商店会会長 練馬区が防災協定を結んでいる福島県塙町と交流しておりまして、月2日間、空き店舗を活用し生鮮野菜を販売する「ふれあい市場」を開設して10年、今月で113回と数を重ねて来ました。春になれば種蒔き、秋には稲刈り・収穫を手伝い出掛て塙町の活性化にも寄与したということで、東京都から「商店街活性化大会で準グランプリ」の栄に浴しました。江古田の10商店会も「江古田音楽祭」を1回で止めないで継続して行けば、間違いなくグランプリを受賞出来ます!と云う提案です。

――「練馬に江古田あり!」というブランデング力を付けて、情報発信を強化するには、有名になる事も大切な要素です。その起爆剤となるのが、都から「グランプリ」をゲットする事、という提案だったと思います。もう一つは、この際、10商店会が「学生をタ説にして、学生に優しい街に変身すること」を勧めたい。平たく言えば、3大学の学生を対象に「学生証」を提示した学生には5%引きの“学割作戦”をスタートさせ、学生を取込むことをお勧めしたい。そして、10商店会に体力を付けてもらう。軌道に乗ったら「学生専用のメンバーズカード」を持ってもらう!これは練馬新聞からの提案です。

C佐久間利和エコオン実行委員長(江古田駅北口商店会長)古い店と若い店が混在する江古田商店会の性格を反映してか、「第1回江古田音楽祭」を開催するにあたっても、実際、10商店会の中には、賛否を含めて、だいぶ温度差がありました。

今年、どう〈第2回目開催〉へ繋げて行けるかは、まだ見えていませんが、あるコンサルタントの先生の話では、「10商店会以外の方に運営して貰った方が成功する確率が高い」という説もある程です。

三澤嘉範江古田音楽祭企画部長(日大通り商店会副会長)練馬区から助成を受けて開催した「第1回江古田音楽祭」ですので、3年間で何とか、定着させねば、という気持ちがありました。1年目は初めての試みですので、「江古田音楽祭」がどのようなものを目指していくのか、判りやすい形で体現するため、短い準備期間の中で積極的に関わられる人たちの中でロケットスタートを敢行する必要がありました。その表れが約140公演程を掲載した『EKO ON』のパンフレットに結実したのです。

成果としては、台風で大きなダメ―ジを受けてしまいましたが、基軸となるべく形を実績として残す事は出来たと思っています。2年目からは、今一度、初心に帰って、初年度の反省・改善案を反映させ、より多くの方が関われる価値のある、魅力のある音楽祭のベースを作り上げることを目的にしたいと思っています。そのためには、多くの方々の協力が不可欠で本日、座談会に参加した地元愛に溢れる皆様との連携はもちろん、地域住民の皆様との対話を深めて行きたいと考えています。

岸間健貧氏(江戸文化・芸術研究家)まず、街づくりに関心を持つ方が集える場所を確保する事から始めたいですね。それから下北を越える藝術の街にしていくためには、江古田の特徴である3大学が機関車になって引っ張っていくこと。住民と有機的な交流が出来るようになれば、第一歩を踏み出す事が出来ます。 

いわば、3大学が日常的に門戸を開放し、地元住民ともっと交流を深め、一ツ橋大学がある国立の商店街のように、学生が街づくりに参加できるようにすれば良いのです。そうすれば、素晴らしい街が仕上って行く事、間違いないでしょう。私が自治会館を借りて、個人的にやっている「落語教室」や「江戸文化セミナー」の生徒さん、受講者の方々は、老人ホームを訪問したり、ボランティア活動を始めております。これも江古田らしい文化・藝術活動の一環と思って活動をしています。

――元練馬区職員の田島社長。江古田で数少ないギャラリーを経営して、藝術の街・江古田づくりを目指して孤軍奮闘している姿は、リスペクトに値します。

田島和夫・ギャラリー古藤社長 武蔵大学正門前に古美術&ギャラリー「古藤」を開設して7年になります。「古藤」は、地域文化・藝術の情報発信拠点として映画祭、展覧会、音楽会、講演会など様々な活動を続けてきております。ささやかな、いち民間施設だけに制約もなく自由にやれている反面、経営的にはなかなか大変で、給料や家賃が払えていない低空飛行状況が続いています。今後も経営環境は、厳しいものがあります。しかし、誇りを持って頑張って行きたいと思っています。 

――江古田を真に「藝術の街」にしていくためには、「古藤」のような狭くていいですからライブの出来る拠点が、他に2カ所ぐらいに「ギャラリー古藤」の支店として欲しいですね。各大学と練馬区にご支援をお願いしておきます。そこで、本日は、地元の不動産業から福一商事の柳社長に出席して頂いています。江古田の仲介業の現状について、まず、お聞きしたい。学生が戻ってきて、御社の方は、だいぶ景気が良くなっているのでは、と思いますが、如何ですか。

柳済龍福一商事・代表取締役 江古田で開業して65年になる福一商事です。不動産仲介業ではナンバーワンのシェアを誇っておりますが、商売は、そう甘くはないですね。ただ、江古田に学生が戻ってきていますので日々、手応えは、感じています。学生さんが下宿する物件の現状は、「買い手市場」にあり、家賃は値下がり続けています。一方、オフィス需給の方は、江古田は好立地ですので、良い物件さえ出れば、即、値がついて売れます。その点では、大変恵まれた街です。

――福一商事さんには、業務用に使えない物件の中で、“只で提供できる物件”が出れば、ご一報ください。3大学、「古藤」さん、三田村さんに繋いで江古田の街を“藝術の街”として一緒に、盛り上げて行きましょう!

本日は、長時間、大変、参考になるご発言、有り難うございました。また、来年、再会したいと思っています。

 

   END

 

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