レジデンス考

レジデンスとは何だっただろう。
きちんと考えなければいけない。
これから様々な場所でレジデンスに参加するだろう。
その時間をより良く使うために意識しなければ。


僕にとって最初のレジデンスは越後妻有アートトリエンナーレだったと思う。
開催地が新潟の為、滞在せざるをえない。
2006は脱皮する家への参加。
2009は個人の参加。
新潟はあまりにも広すぎて他の作家の制作状況を見ることが難しかった。また交流も難しかった。
2006年は日大のチームで行動していたことによる。
2009年は途中から映像編集作業に入り、あまり新潟に行かなくなった。誰よりも早く制作を開始(2008年2月に公募が決まり、その数日後から)し、開催年の春には撮影が終わっていた。
多くの作家は(雪解け以降となる)春から追い込み作業に入る。
行き違いの形になりあまり交流が出来なかった。
追い込み作業自体は僕も同じで映像編集を東京で行っていた。


大地の芸術祭は制作期間が長く、また開催地も広いことが特徴かもしれない。


それに対してバンカートは期間が決まっていたし、期間中の60パーセント以上スタジオを使う条件があったから自然と作家同士が顔を合わせる機会が増える。
またスタジオの大きさも適度で個々の制作が充分に出来るスペースがありつつ、すぐ近くで他の作家が作業している雰囲気が伝わってくる。
他の作家がスタジオに来れば足音で分かるし、作業する音も聞こえた。
こちらも常に見られている、緊張した感覚があった。
そして様々なジャンルの人が来ていた。パフォーマンス、絵画、彫刻、写真、映像、アニメーション、メディアアートダンス、など。
適度な距離感とスタジオを共有している感じがバンカートの特徴かもしれない。


逆に横浜市民(住民)とのやりとりはない。妻有とは逆の形。妻有は地元とのやりとりがあるがスタジオを共有しない。野外作品が多い事、その他の作品も制作現場が異なる。


しかしながらどちらもレジデンスには違いがない。
どちらにも参加した身として思うことはレジデンスとは時間、身体感覚、経験、体験を現地にて肌に染み込ませるようなものではないだろうか。
妻有は特に顕著だった。普段作っている作品を持って行けないのだから。あまりにも環境が異なるから。
相当頑固か、鈍感か、思い込みが強いかでなければあのような場所では今までの自分のスタイルが通用しない事が分かる。
今まで通りやっても自分がつまらないし、通用しない。作家を変える力がある。


バンカートの影響は人だ。自然じゃない。周りの人から影響を受けることが重要だった。そうでなければどこかのアトリエや自宅で普段通り作るのと変わらない。
だから時間の許す限りスタジオ内をパトロールした。
人付き合いは苦手だけれど、なるたけ交流しようとした。
ポートフォリオも出ている物に関しては漏れなく目を通した。
また肌に染みこませること自体かどういう事なのかを知る為にレジデンス中盤から36日間連続でスタジオに通った。何か一つでも一貫出来るものがあればいい。
僕の場合、体験することを重視した。
そして作品は「スタジオを使うこと」、「現地でしかできない事」を意識した。


レジデンスは元々パブリックアートの一環のプログラムだと思うが、そうであればアーティストは制作現場をもらうことで別の利益を生み出す存在だと言える。
「制作スタジオ借りれたーラッキー!」ではないのだと思う。


妻有は作品があるから鑑賞者が来て、その結果地元に活気が生まれる。
バンカートは作家の育成が重要視されているように思う。であるならば時間をかけて社会に対して返還するべきではなかろうか。その方法はアーティストに委ねられている。


問題が自分に返ってくる。自問自答が続く。僕が何をすべきかという。一つでもいい。

おそらく、今後バンカートが盛り上がるよう、もしくは横浜が盛り上がるような活動に参加すると思う。そうすることで循環が始まる。