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森美術館(医学と芸術展)行く

森美術館
いい展示だった。生死についてはどんな人にとっても無関係ではないのでどうしても考えさせられる展示になる。義足、義手、義眼などの展示が印象に残った。博物館がやるべき展示をやられてしまった感。


ナホさんが言っていたように、亡くなる前と後の写真を並べている作品が強烈な印象に残った。当人への許可および、家族への許可を取るだけでも大変だろう。「死」を前に人はシャッターを切れるのかという事を考えた。少なくとも僕には出来ない。


もちろん毎日私達は沢山の命を頂いているわけで、命の連鎖の中で生きているわけで、「食事」をライフログとして写真撮る人は多いでしょう。自分の飼っているペットが亡くなった時に写真を撮る人もいるかもしれない。だが、人が死んだときにシャッターを切れる人間はどれだけいるだろうか。


光るウサギの作品。アーティストが本当に遺伝子をいじくって、光るウサギを生み出す技術を持っているのだろうか? この作品がフィクションなのか、ノンフィクションなのかが分からず、友達と本当か嘘かという話で広がったのが面白かった。真に迫る芸術は蜃気楼のよう。

光るウサギが事実だとしても作品制作におけるフィクションにしろ、作品が問いを発していること、他者と共有可能な興味を引いている部分には力があるなと感じた。 犬を餓死させる作品を発表したバルガスの作品を想起させる。


バルガスの作品は犬を餓死させるとして日本でもネット上で署名活動があったりもしたが、実際には犬は餓死しなかったし、展示会場から人知れず逃がしたという結末だったように思う。(バルガスの意図は)保健所や道ばたで死んでいく犬について考えてもらうための作品。


ケビン・カーターだったかな?実はその事もさっき考えていたのです。  
http://www.picturapixel.com/wp-content/uploads/2009/03/carter.jpg

餓死する少女と鳥の写真について、僕が中学生の時に授業でテーマとして扱いました。その事を今でも覚えています。当時の中学生の中でもかなり意見が割れました。 大別して「何故(目の前の)餓死を救わなかったのか」と「写真を撮って報道し、その結果社会を変える事に意味がある」に分かれた。


上のバルガスの話もそうだけど、ケビンは少女を見捨てたわけじゃない。写真は短時間で撮り、すぐに鳥を追い払った。しかも何故餓死を救わなかったのかという非難は矛盾をはらんでいる。その少女を餓死で救ったとして、周りにいる餓死寸前の子どもはどうすればいいのか。全員を救えない。
中学生の授業で扱うには難しいテーマだったな。今でも答えは出ない。


ケビンがその後、自殺したと知ったのは僕が大学になってからかな?それを知った時にまた違った角度で考えるきっかけになった。それだけの覚悟で彼は写真を撮っていたのだと。周りは簡単に批判するんだなー。