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最近特に一つ一つの事が雑になってきているように感じる。
一日に何個もやることがあるので集中出来ていないのだと思う。


絵のうまいやつはたくさんいる。
彫刻のうまいやつも、映像のうまいやつもアホほどいる。
同じ業界にうまいやつも、綺麗なやつも、頭のいいやつも、天才も掃いて捨てるほどいる。
だけどなぜかは分からないが、自分に仕事の依頼が来る時がある。そんな時はまず断らない。自信が無いとか、謙遜だとか、他にもいい人がいるなどの理由では断らない。
きっと何か理由があるはずなのだから。


汚い映像だねとか汚い(下手な)絵だねとか言われる。
よく言われるなと思えるぐらい言われる。
よく美術辞めなかったなと思う。
彼らは僕を辞めさせようとして言ったのだろうか。それによってどんな得をしたのだろう。
他者を排除しようとする自分の姿は恥ずかしくなかっただろうか。


昨日バンカートの展示のパーティーでニブロールの映像担当をしている高橋さんに会った。素晴らしい映像を作る作家だ。
自分の作品の感想を聞いてみたら、一言目が「綺麗だね」。我が耳を疑った。
まず最初に雑だねとか、意味が分からないねとか、汚いねと言われるかと思った。
色々話して、最後に「作り続けて」、「また見せて」と言われた。勇気の言葉だ。



アートにとって大事なのは想像力であるとミヒャエル・エンデは繰り返し言っていたように思う。
アートを始めて10年くらいが経ち、想像力の大事さを改めて認識し返す。
いつの間にか方法論や技術論、意味論ばかり考える環境にいる。
またそこから脱出しなければならない。
アーティストであるならば変な所があって当然。それが現実を突破する力になる。
現実を越えられないのは現実的に考えようとする発想力にあり。
想像の翼を借りて人類はいつも問題を越えてきた。
想像力があることを諦めないこと。
それが僕が美術家として自身を認めることのできる強固な印だ。


表象ではなく、存在としての美術家を目指してきた。
はじめは小さな差だった。誰も期待していなかった。見向きもしなかった。無視さえした。
今ではもはや誰とも道を重ねられないほど差ができてしまった。戻ることも代えることも出来ない。
自分のハートを信じて進んだ。人から理解されるかどうかは別として、一つの美術家の型が出来た。
丹念に練ったオリジンの器。そこには僕しか入れない。
代わりは居ない。


外道。
あえて本流を外れた者。
外道。
我が道のために他者と道を違えた者。
外道。
求めるもののために勇気を出して暗闇を歩く者。
外道。
道を求めるがゆえに、道を探すが故に新たな道を踏み出すもの。

ひたすらにひたすらにひたすらにひたすらにひた向きにひたすらにひたすらにひた向きに道を進む。
時には地図が読めることより、足元の感触が頼りになる。
時には思考より夢想が心を満たす。
時には怒りや正義より優しさや許すことで自分が救われる。
時には美しさより醜さが伝えてくれる。
時には権力や名誉より愛や友情が人を生長させる。


人を見下し続けたいならそうしてくれ。そうしたい人はそうしてくれ。あなたの魂だから自分で選んでくれ。汚したければ汚してくれ。
勧めはしないけど。


僕はそれと同じ大切な大切な時間を走り続けることに使う。
見も知らぬインディアンが教えてくれた。
魂はいくらでも大きく、鍛えることが出来るのだと。