言葉をいくら積み重ねてもまだ言えないことがある。
ギャラリートークはそういったことを浮き彫りにさせた。
無力さをよく感じる。だからと言って現状を諦めたり、不満に思う訳じゃない。いつも未知を切り開いている感覚はある。
進んだ分の反省や改善や無力感がある。進んだ分の課題が見つかる。
もちろん「考えた」場合、色々な矛盾点が見つかっただろう。だけどそれは実際的な仕事の結果生まれた事だ。
やりもしないのに「結果」を想像し、仮想的な結果から答えを見つけることは僕の美学に反する。
人間は誰でも自分の人生を尊重する為にあえて損を選ばなくてはならない。損、すなわち、人生における遠回り。
他人から不器用だ、下手くそだ、時代遅れだと言われながらも自分の身に染み込ませるように経験を重ねていく。
40になっても50になってもなお謙虚さを保ち続ける先輩達に敬服している。
充分過ぎるほどの経験とプライドを得たはずなのにひたすらに謙虚。彼らはまだ先が見えているから謙虚になれる。少し歳を取ったからといって決して偉ぶらない。
その姿は眩しく、美しい。


だから僕より後輩で僕より傲慢なやつは認めない。
年齢ではなく、経験でもなくただ作家としての姿に興味を覚えない。共感も出来ない。
自分がいいと思うなら、本当に信じるなら我が道をいけばいい。
その代わり大学やギャラリーやその他権力的な場所とは一切関係を絶ちなさい。それはそれで充分に素晴らしい道だから。



謙虚になれることほど、苦労し、経験し、成長した証。