美術家が孤独なのは
自分が作るものは自分にしか作れないからだ。
誰かが代わりにやってくれるわけではないし、自動的に出来あがるものでもない。
また工場の仕事のように人から指示されて、同じような作業を繰り返す類の仕事でもない。
自ら何をすべきかを決め、自らが動かなければならない。
自分の時間の使い方、行動の仕方、物作りに対する姿勢、その他諸々を自分で管理しなければならない。
もちろん、そのような仕事の中にも共同作業はある。
共同作業から学ぶことは沢山あるし、大きい。

だが、最終的には個人の力がものを言う。本質的には孤独なのだ。


だからこそ、近くの仲間や友達を大切にし続けていたいと思う。
裏切りがあって、その裏切りの代償として、その人が「代わりの人」を見つけられるならまだいい。
僕にはそういうことは出来ない。良心を裏切るなら、孤独を選ぶ。


大学の仲間達で今大学にいる人たちで、上級生の人たちは付き合いが4年とか、5年とかになる人たちがいる。
これは本当に貴重な事だ。
どんな条件をもってしても買えないし、代わりはないと思える。
だからこそ、一緒に居る時間を大切に思うし、一緒に居ない時間でも
自分が頑張っているその時間、どこかで彼らも頑張っているのだろうと思うと力が湧いてくる。



そして同時に自分が大学の外でどんどん活躍して、その姿を見た同輩・後輩達が僕を越えてくれれば尚いい。
軽く越えて欲しい。
途中から辞めるか、続けるかになってくる。才能があるか、無いかという話では無くなってくる。
周りに誰も居なくなると寂しい。