無粋であることを嫌い、無粋であることを避け、無粋であることを憎み、無粋であることを恨み、無粋であることが悪だと自分に言い聞かせた。
そうしていくことで避けがたい自分の中にある無粋さに気付く。
不純と言ってもいい。

矛盾を知りつつなお求めようとする。
不可能な事に気付きながら立ち向かう。
夢想し、歩き続ける。永遠に憧れる。


変えられないもの、変わらないもの、変えがたいもの、耐えがたいもの、あらゆる不可避性、不可能性。
もがき続ける。
それは反逆の歴史。
乗り越えようとする魂の意志。意志の連鎖。


起こり得ないことを起こす。
あり得ない事をあることにする。
どんな権力を持ってしても出来ないこと。
奇跡は勇敢とも無謀とも判別付かぬ所から生まれるはずだ。
路傍の石の中にある気付き。
発見の連続。
アーティストの目が何に依るのか、自分なりに分かってきた。



彫刻家や画家がよく感覚に付いて述べる。
言葉にならない感覚があるから作るのだと。

半分は正しい。
だが感覚と思考と思想と感情と魂は深いところで相互作用を起こしながら繋がっている。
もっと考えていい。考える事を恐れてはならない。
考えすぎる事で学者や評論家に近づくのではないかと、役割が違いのではないかと恐れる必要はない。
美術家は美術家でしかありえないのだから。どうしようもない因果を背負っているのだから。



そして目。
見ること。よく見ること。沢山、長く、よく見ること。深く見ること。見抜くこと。理解すること。
いいスポーツ選手は目がいい。いい鑑定士も、評論家も目がいい。美術家も同じはずだ。いいものを作ることではなく、いい目を持つこと。
そこに行き止まりはない。
作ることに溺れると行き止まりがあるかもしれない。