神奈川トリエンナーレ(仮(ヨコトリではない))

いつも本気だった。 だれがバカにしようと、否定しようと、何を言われても、自分の大切なものをただ守りたかった。
その一つの事さえなかなか貫けない。
神奈川版の大地の芸術祭を開催したかった。
どんなに小さくてもやろうと思った。
だから自分のチームとプロジェクトを持った。


2007年の夏。僕は失敗をするどころか、地元の反発を買って、去った。
早すぎた、26歳。夢を見た26歳。何も出来なかった。
森はただ静かに僕らを見ていた。美術家だけではどうにもならなかった。
だが自分が矢面に立ってやらなければならなかった。
どんなに小さくてもいい、根を張りたかった。
種を蒔きたかった。
新潟だけが美術の中心じゃないと言いたかった。
全ては苦渋の味。だが今も諦めない。
まだ道は続く。道はなくとも続く。
人は獣道を人の道に変える生き物なのだから。
美術家が事を起こすことは愚かか?
否、最も愛情を持って業界の中で生きているのだ。


下手くそさや不器用さは放っておいて欲しい。