8月11日という日

忘れたくない、この日。
僕の手帖には忘れたくない日に印を付けて、その日に会った人の名前を書く。
忘れたくない。忘れられたくない。
僕のことを忘れないで欲しい。あなたを忘れたくない。忘却がおそろしい。
人はいつか大事にしている人を忘れてしまう。その想いを、感情を、日々を、記憶を!
大事にしている事を、大事にしていた事さえ!恐ろしい。
僕がデジオを録る理由。
それは色々な意味があるが、忘却への恐れは大きな要素であると思う。


山盛りにしたきゅうり。なんかわからないゼリー。
紹興酒に砂糖漬けの梅干しを入れたこと。
甘い梅干しの味。紹興酒を3合飲んだこと。
誰か、知らない人の誕生日のアナウンスがあったこと。


忘れたくない。何でもないことかもしれない。重要ではないことかもしれない。だけど、忘れたくない。一つも忘れたくない。


恥ずかしくて、前だけを向いた。なんともない振りをした。萎縮した。
楽しかったのに。その数分後にもう、後悔した。
違う。忘れたくないなら、逆のことをしなければならないんだ。
前だけなんか向くな。楽しい時には笑って、泣きたい時には泣けばいい。



忘れたくないものが増えるほど、クリエイトの力が増す。
それらは脳内で強い結束を生む。
護らなければならないもののために精神が、記憶が、ハートが楯を作る。
強い結束と意志を生む。


忘れられたら、無かったことと同じ。
写真を撮るとか、ビデオを撮る行為は思い出すための装置に他ならない。
それすらも忘れたら、どうなる?
記憶が僕の存在をつないでくれる。記憶の連続が僕を僕で居させてくれる。僕と君のつながりは記憶の上で成り立っている。だから忘れないで欲しい。だから忘れたくない。


歳を取って、僕の事を知らない人がどんどん増えていく。
過去の記憶を共有できない。昔の自分との対面が出来ない。


恥ずかしがらないで歌ったり、踊ったり出来るようになりたい。小さい頃、歌ったり、踊ったりしなかった。いつから人前に出ることが恥ずかしくなったのだろう。
小さい頃、こんなにシャイだったろうか。


僕は僕を超えなきゃならないんだ。
そうしなければ、いつまでもこの場所に足踏みしなくてはならなくなる。


ハートと言葉を近づけるんだ。