芸術の神様は厳しく残酷

毎日何処かで誰かが亡くなってる。その度に荘厳な気持で送り出される。
生きている事を日々喜んだり、諫めたりする。
やはり当たり前の事ではなく、貴重な事だと思う。
特別な事なしに、生きているだけでも貴重。だから嬉しい事があったら行ききる。
喜びが行ききった故の歪みはきっと許されてもいい。
爆発したが故の失敗も、汚さも、荒さも、雑さも。


リアリティについて考える。きっとリアリティに関しては本人が思ってる「本当の事」をどれだけ出せるかが問題になってくる。その点において人の真似をしたり、人と比べても何の意味もない。


迫真さを出す為には作者と作品が近接すること、また近接するにたる技術を身に付ける事。


これからそういうものを作ることにした。
しばらく忘れてた。反省。気付かせてくれた友人ありがとう。








私と貴方は本来同じ人です。
だからただ、一瞬のすれ違う時間を持ちたいが為に
貴方を「待つ」し、真面目に、懸命に日々を過ごす。
シャイだから、少しずつ距離を縮めるチャンスを「待つ」。


すごい長い時間をかけてただ、一瞬出会える事にも満足できる。
なぜなら、本当の事はそういうものだから。
都合良く手に入らないものだから。


芸術の神様は人一倍嫉妬深く、
与える事を知らない。僕は知っている。
ただ、静かに仕える。
何も与えてはくれない。
努力しても才能を持っていても。どんなに恵まれていても。
望めば望むほど遠ざかる。
そのたびに憧れる。
追いつけないものを。
まるで宇宙の果てを追い求めるがごとく。


歳を取っても何も変わらない。
暗闇の中、ただ、あなたとすれ違う「瞬間」を待つ。



自分の中を研ぎ澄ますほど、その緊張感が高まる。
絶え間ない努力を続けても、自分の無力さがただ、目立つだけ。



光が眩しすぎる。


しかし、貴方を待つ事を教えてくれる事に嬉しさを覚える。本当に、本当に嬉しい事。
僕の方から近付きたい。懸命さの証として。それが不可能に近いほどの可能性をもってしても。


全て還る。
大地に還っていく。
もし、自我の強さ故に還せないものがあったら、他人からどう見えようと、恥ではないから、ただ、懸命に、向かっていけ。



生きたいように生きられるために。