大地

先週は瀬戸内海へ。来週は妻有へ。移動しまくり。
会場設営準備の為に。会場の設営をするのは他の人で、僕はそこに希望を出さなきゃいけない。
映像を流すとなるとプロジェクターとの距離(映像の大きさ)、電源の位置確認、壁は作るか作らないか、周囲の明るさのチェック、音環境のチェック、椅子などを置く際のスペースチェック、その他周りとの兼ね合い(自分がどれくらいのスペースを使えるのか)など、現場で確認し、自分のイメージを伝える。
近々直接設営の人達と話し合うので、きちんとプレゼンしなくては。
デザインは苦手だけど仕方がない。これも経験だ。なんでも経験だ。


会場はキナーレで決定です。少しずつ決まってくる。チラシなども作らなくては。


僕は無名の作家だからきちんと宣伝しないと見てもらえないだろう。


今回、大地の芸術祭に参加したことは色々な経験をする意味でも沢山勉強になってる。
一人前が遠くなった。すなわちいままでより、遠くまで見えるようになった。
大学で学んだ事は殆ど役に立たない。(大学批判の話題ではない)

書類を作成したり、プランを出したり、デザインをしたり、構想を練ったり、プレゼンしたり、作品制作から発表までの様々なプロセスのうち、大学では「作る」事しか学べない。しかもその対象が鉄を溶接するとか、かなり狭い範囲に限られる。
例えば学生時代に学内外で発表する場合でも大抵「作品」だけ搬入すれば終わりでルーチンワークになってしまう。疑問を感じなくても済む。


大地の芸術祭では常に予測不可能な事が起こる。僕が初めて現地入したのは2008年2月だった。車が雪に埋もれたり、雪で景色がわからなくて道に迷ったりした。
作る事以前の前提があった。土地を知ること、人を知ること、その後にやっと撮影に入れる。
大地の芸術祭の「大地」に、色々な意味が含まれている。


妻有に来て変わる作家も多いと思う。作品を作って持ってくるなんて事が意味ないと悟る。自然と対峙して、そこから受け取る。人間は自然に内包されて、それから作品を作る。箱の中で出来ることをやっても無意味だと悟る。


沢山学んだ。だから、お返ししたい。何年かかりそうだけど、自分が出来る方法で、自分なりにお返しする。



ギャラリーや美術館の中だけしか美術の意味を感じれない人がいる。僕は逆で、美術館(箱)の外に意味を感じている。
アースワーク、パフォーマンス、コミュニケーション、レジデンス、プロジェクト、パプリック、プレイ、デイリー、シンパシー、ユーモア、ナチュラル、ここらへんの言葉が自分の中で大事な活動のポイントになっている。
これらの複合によっていまの自分を語れるのではないか?
森塾展をやったこともあり、また大地の芸術祭があるので色々と考える。