寄り添うもの

人生が先にあり、芸術はそこに寄り添ってくれるものだと、先生は言う。


僕も今年で大学最後だから短い時間で含蓄のある言葉を戴く。
僕が伝えられる事なんて、本当に少なくて、受け取り、吸収することの方が遥かに多い。

人は人生を通して最も濃厚な価値を伝える。何かを護りたいと思う気持ちは人として自然な感情に思う。
田舎に行くと色々な人が助けてくれる。


僕がお返し出来ることは殆どない。美術家として役に立てることの少なさに驚く。


僕は道化になって踊る。作品を作る。コミカルの背後にシリアスがある。


彼はその緊張感を和らげるためにコミカルを装う。
それが二面性。実際の二面ではなく、ある一面の性質から副次的な性質が滲み出てきただけの事。


怯えを隠すための怒り、愛するがゆえに目を合わせられない事、優しさゆえの憂い、自分をごまかすためのお喋り、そういった類いのもの。


僕は幻想に生き、そこから現実を見つめる。どちらも真実で、どちらにも非はある。
科学で証明できないことを長い時代、文学や神話が代弁してきた。人間の直観は正しかった。神話の証明を科学が裏付けたとしてそれが何になった?
「納得」を生んだ。それで人は賢くなったのだろうか。


幻想を知らない人が精神病にかかる。科学を信じて療法に入ると。何を解決してくれた?自殺や鬱が増えただけではないか。もしくはニートが。


フィクションの中に真実が隠れているかもしれない。


見えないものは発見できない。
発見できないものは解決出来ない。
解決出来ないものは無為に終わる。


努力も向く方向が間違えたら何処にも行けない。エベレストの頂上を目指している人が、海に向かっていたら、彼はなんと呼ばれるだろうか?


賢者にならなければならない。 目指さなければならない。
迷う人が多い。一人でも多く道(未知)を照らす「灯台」にならなければ。
賢者になるとは、そういうこと。


自分をインテリだと装う愚者にはなりたくない。