異端と無邪気

問題が山積みすぎて気が狂いそうになる。
しかし、大丈夫。気は保てる。今までも上手くはなかったものの何とかやってきた。
一つ一つ丁寧に地道に問題をクリアしていけばいい。
そもそも問題をきちんとクリア出来た事なんかあったか?
いつからかテストで100点をを取れる事がなくなった。
そして自分の中の完璧主義は消えた。
ただ、願いの強さを行動に変える。100点じゃなくてもいい。自分のやれることをやる。
出来る範囲で努力する。そして周りの人の為に出来る事を考える。



よく気違いに思われる。なるほど、毎日のように壁に話しかけてる。人と視線が合わない。空想と現実入り交じった話をする。時々友達が他人の振りをする。一緒にいると恥ずかしいと言う。
そして時に(奇跡的に)大きな信頼を得る。この違いはなんだろう。
よく考える。きっとみんな世界に耐する認識が違くて、人を見る目も様々なんだろう。自分の勘違いを修正しないまま生きていくことも出来る。


松本大洋の漫画では必ず異端者と無邪気者が出てくる。彼らは物語の中で特別な役割を演じる。大抵主人公かそれに準する役割だ。
彼らは悲しいぐらい異端で、無邪気だ。そして物語の殆ど役割を与えられなかった人物は彼らに冷たい視線を送る。
彼らの目は死んでいる。そして(比較して見てほしい)「異端」と「無邪気」は生き生きと描かれている。血の巡りは煌々とし、あまつさえ吐息が叫喚にとって変わる。
素晴らしい描き方だ。このような描き方を出来る人は本当に少ない。


僕たちは曇った目で世の中を見つめ、不平不満を言い、日々を過ごす。世をすねるだけでは何も変わらないのに。
では少なくとも生き生きとしてみせよ。
愚鈍に生きてみよ。上手く生きているつもりで人を騙すな。自分を持ち上げたいがために人を陥れるな。謀らいでしかない。
「異端」も「無邪気」も少なくとも「自分の目」で世を見ている。エキストラ達は「借り物の目」で世を見ている。その対比に注目したい。
彼らは英雄ではない。しかし、少なくとも自らの望む英雄たらんとしている。すなわち、自らの願いを胸の中に納めている。それを見失う事はない。


自分が松本大洋の漫画に共感するのはきっと自分が異端者が無邪気者に共感しているからだろう。


彼らは瞳を大きく開けながら遠く離れた故郷を思い、時空を超える。
そして白か黒かは分からないが、ひた向きに生きていく。生きる時も死ぬ時も何かを見詰め続けている。
視線に注目したい。彼らは遠くを見ている。だから視線が合わない。


憧れはよそうと思う。それは自分が成り得なかった者への美貌の眼差し。弱さの裏返し。思考の癖が中々直せない。


大人になっていくと自分がかつて克服した事を忘れていく。自分が出来ることは相手も当然のように出来ると思う。
そして勝手に怒る。
「何でこんな簡単な事もできないのだ」と。
そして「もっと大人になれ」と要求する。


自分を克服しようと頑張っている人(見た目で分かりにくい部分)に対する最悪の仕打ちになる。
ただやる気を削ぐだけで、相手の言い分を聞いてやることさえ出来ていない。
難癖でしかない。
心優しい子だったら自分を傷付けてしまうだろう。無力な自分を責めるのだ。
何にでもチャレンジしたらいいのだが。背中を押してくれる人も必要だ。間違えてもいい。
失敗するのも勉強だ。恥ずかしい事じゃない。
何一つ恥ずかしく思う事はない。
ただ、生きているだけでも。あなたが吐くその息にプラーナが宿っている。


自己否定し続けた人がある日、それではいけないと、自己肯定に向きを変える。
その行為を誰が責められようか。
どんなに嫌いでも自分は自分と共に生きるしかない。認めざるを得ない、肉体と時間の制限の中で。魂さえも。
それはうぬぼれではない。
自分をやっと、正面から見ようという、勇気なのだ。
そういった意味では、誰もが勇者なのだ。君が吐いたその息をもう一度吸ってみたらいい。魂が震えるだろう?
それが君のプラーナだ。まずは自分と向き合った事。それが自己肯定につながっている。見た目では分かりにくい部分だが。


彼の中に傲り、高ぶりがあるかどうか、確かめてみよ。
彼の中には一点の傲り、高ぶりはない。恥じらいはあるが、それはただ、シャイなだけだ。


「忘れた人」の落とし穴。
強者の理屈を通そうとする。強者で在るがゆえに。その自信の為に。
それは恐ろしい事だ。多種多様な者が生きているという現実感、一人一人の人間性を拾っていない。
気に入らない相手は殺してもいいと思う。だから戦争が起こる。
殆どの人は困っている。武器を持たない市民は震える。今日食べるものにも困る。
もし、戦争でなかったとしても、同じような事は起こる。強者の理屈は時にとんでもない暴力性を帯びる。
必死で生きる者を笑うな。その笑いは当人の差別的感情の発露。
持っている感情は一緒だ。血の色は同じだ。人間としての性も、哀しみも同じだ。
共感こそすれ、それを否定する権利はない。
どうか、忘れないで。誰もが、幼き日、無力だった。
自ら、穴に落ちるな。そこは闇だ。



本当に成長することはどういうことか考える。
多分本当に成熟した人とは一緒にいるだけでいいのだと思う。
ただ、一緒にいれば学べるのだと思う。物腰、考え方、行動の仕方、etc。


そう考えると自分がいかに成長が遅いか、考えさせられる。晩成なのか、異端なのか。
大人になりきれない。


大人になる事を自ら拒否している部分も認めざるを得ない。
護りながら生きていく事を選んでいるのかもしれない。
何を?
失いたくないものだ。
護るのだ、時代を。私たちの時代から未来の時代を。
それは今を大切に生きる事だ。
今を大切にし続ける事だ。そして将来を大切にし続ける事だ。


それらを踏まえ、
ここ何年か自分に出来る事をよく考える。きっと何か役割があるはずなのだ。
息を吸う事さえ!
それら一つ一つを地道にクリアしていこうと日々を過ごす。


共感していく事を増やしたい。



異端は進み続けた結果、極東に辿り着いた。彼はそのまま海を渡るかもしれない。
無邪気は飛び続けた結果、空を舞う。彼はそのまま宇宙まで飛んでいくかもしれない。


素晴らしきかなポン、ポン。