つまらない人生。
僕がいま、やっている事はとてもささやかな事で、
全く、派手さはなく、目立つ所がない。


でも、自分を信じてやってきた。
邪(よこしま)のない真っ直ぐさが僕にとっての価値だった。
死ぬまで失いたくない。



今日はウグイスが外で鳴いていたので、
道ばたで止まって、その声に耳を澄ませていた。


老人のような日々の楽しみ方だと自分でも思う。
でもそれはきっと今まで自分が見過ごしてきたもの、気にも留めていなかったものに対する愛着なのだろう。

つまらない人生。

でもその清貧さはきっとそうしなければならない自分なりの必然性があるのだろう。
スポーツ選手がひたすら、ひたむきに日々、自己を鍛錬する事。


僕はサッカーを辞めたけれど、今でもスポーツを続けているのだ。
その「練習」に派手さはなく、誰も見ていない。
けれど、自分がまず納得する仕事をしようと、そのことに一生懸命だ。


僕の尊敬する先生はそんな孤独な道をあきらめないで歩き続けた人。
人が(普通なら)途中で諦めたり、辞めたりする事。
きっと普通に過ごせば楽しかった人生もあっただろう。
けれど、きっとそれは「本当にやりたい事」じゃない。


厳しさを自分に向ける。
禁欲はその道を歩くために必要な武器になる。
あらゆる困難が待っている。
前進への意志を止めたら終わり。全ては自分が決める事。

そして、その責任は自分にある。


僕は僕の尊敬する人たちと共に同じ道を歩きたい。
80を越えてもなお努力し続ける作家が居る。
それはひたすら眩しく、強く、偉大で、敬服する。



それは洞窟の奥でひっそりと美しく咲いている花だ。
なによりも尊く感じる。