おセンチ

あらゆるものに始まりがあり、終わりがある。
感傷は、忘れないこと。反芻すること。


忘れることによって強くなる訳じゃない。忘れずになお、それを乗り越える事によって強くなる。
目の前で起こっている事をよく見つめなくては。


それはきっとかなりの感傷だろう。一生で100回の秋を見ること。それは多いことか?
あなたとは何度会える?
北海道には何回行く?パリは?ニューヨークは?
あらゆる時と場所と人、自分の組み合わせを考える。
そこで起こることは自分にとってかけがえのないことだ。


感傷は過ぎ去るものに耐しての愛着なのだ。甥っ子が会うたびに大きくなる。成長して僕に怯えなくなった。人見知りしなくなった。それも感傷。


死をも思う。
一年中人の死ぬ話を聞く。
青春の真っ只中に死について考えている。
それは小学生とか中学生の時に考えていたことだった。

また舞い戻る。
秋に散る葉がまた春先に葉を付け直すように、僕の中で生まれ変わるような感覚が芽生えている。


大人になったら感傷は捨てるものだと思っていた。
あらゆる社会の厳しさと戦うために感傷を捨てなければならないのだと思っていた。


僕は大人になって何を捨てたのだろう。