性格の美味さ

料理のように性格にも美味さがあると思う。
1、性格悪いけど天才な作品作る人。
2、性格が良いけど平凡な作品作る人。


付き合うなら後者がいい。前者は作品とだけ付き合いたい。
そう考えた時、作家として付き合いたくなるような人も人柄が重要であることに気付く。作品は関係なく、性格悪い人とは誰も付き合いたくないのだと。
単純な数では計りたくないけど友達多い人は性格良いって事だ。
性格悪いわけじゃないけど人見知りするから友達多くないという人もいるけど。
こういうことは中学生とか高校生の時によく考えることだと思う。


自分の中でリバイバル(revival)が起きているのかもしれない。


去年はリバイバルの準備期間だったかも。
歴史的にはリバイバルが起こる前、その文化は充分に成熟していると言える。
成熟を経験したあとのリバイバルば重要だ。成熟の後の枯渇、退廃を避けようがための行動と考えるからだ。


バイバルすることによってサバイバルしているのだ。


歳を取るとか、肉体が老いるとか通常購いきれない事柄をスタイル、または思考(嗜好)のリバイバルを起こすことによって自らの終点を回避しているのだろう。面白いことに僕のリバイバルは人と衝突する。人も僕と同様にリバイバルしているはずなのだ。意識しているかどうかはともかく。
僕のリバイバルな提案はある人にとってはただの非常識に見えるようだ。


僕はそういった人達の意見や感情を決して否定する者ではないが、それが僕のただの我儘、もしくはふざけてそういった行為をしているわけではないことは述べたい。