言葉の溢れ

僕は本質的には寡黙なタイプ寄りの人間だと思う。
言いたくても喉元で言葉を止める事が多々ある。
ある程度仲良くなるまで(結構時間がかかるのだが)に話しかけるのにちょっと頑張る感じだ。話しかける気力のない時は会釈だけする。
自分を理解しようとしない人には何も話さない。時を待つ。


待っている間に胸の中で消えていく。


だからきっと文字を書く時に言葉が溢れて来るのだと思う。
自然に出てきてしまった言葉は体内で貯められていて、溢れてきたのだろう。

はしゃぐ時もある。楽しい時には、はしゃぐ。

どちらも素の自分だ。

どちらかというと文章を書いているときの自分が好きだ。
その、自分と向き合う静かな時間が好きだ。文章の世界は音楽や映像よりずっと刺激が少ないから静かな気持ちになれるのだと思う。そしてその刺激の少なさは読み手に能力を委ねている。
読み手に想像力を求めるのだ。それは知的で静的で、五色湖の水のように澄んでいる。

そして誰の心にもアクセスする。言葉は時代も国も人種も性差も超える。

言葉を育てている。言葉も筋肉のように育つ。
同じ言葉でも発する者によって威力が異なる。


言葉を育てている。今のところ、まだ卵の中で眠っている。
間もなく殻を破ろうとしている。
「その時」にはすでに生まれている。殻の外に言葉の雛が出てきている。気が付こうとする必要もない。
言葉が溢れて来るのだから。