作品と作家

作品を作るという行為は自らの人生を結晶化させる行為に思う。
それは虫が繭を作る行為に似ている。
また鳥が孵化するまで卵を守り続ける行為に似ている。
そういった行為は他人が想像する以上のエネルギーを要する。
そこに集中するので他の事を考えづらくなる。
芸術家が自分本意になりやすいのはそういった理由からか。元々の気質か。


逆の見方もある。
結晶化する行為は誰もが出来ることではないから尊いのだと。


芸術家は沢山いるが魂を削って作品を作るタイプは少ない。


だからこそ、そんな世界だからこそ僕は想像の世界を守ろうとしている。それは僕個人にとって最重要課題で他人にとってはどうでもよい世界。
その世界は僕の肉体を通じて外に出していかなければ人が味わうこと叶わない。
外に出してみて、初めて他者にとってどうでもよくはない世界に変わる。
意識の表出はリスクのある行動だ。ある他者にとっては許しがたい。
全力て否定されたり、冷たい視線を浴びたりもする。

しかしこの世界に生まれた時点、もしくは美術家として生きていくことを決めたその日にリスクを背負おうと決めた。

こんな根性なしで弱っころいやつなのに、それでも自分の発言、行動、作品を守るのだ。ウェブ上でも実名で活動する理由はここに由来する。
リスクと共にメリットもあると信じてる。
いま生きている世界に一つでも「晴れ」の場所を作りたい。
この世界に住まうどうしようもない悪意を打ち消す力になりたい。

そこだけは一貫したい。


それは生き方であると同時に美術家宣言でもある。
道のりは果てしなく、気が遠くなる。
だが俯いている暇はない。

さあ顔をあげよ。
今日も今日とて歩くのだ。