泣ける喜び

泣けなくなることは何よりも悲しい。
それは人間としてもっとも大切な感情の持ち方であるし、表し方だと思うから。
誰かの事を大切に思えなくなる事も悲しい。それは生きていく中で自分本意になることを一種の防衛術として学んだということ。

空を飛べる鳥がエレガントであるなら、僕はダチョウのような陸鳥に感じる。
決してエレガントではない。

しかし自分の境遇を嘆くわけでもない。
逆に生まれや育ち、その他諸々に感謝してる。挫折は多かった。演技が出来ないので自分も人も騙せなかった。生き方を選べなかったから反って気持ちは楽だった。選ぶ事に迷わなかった。
落ち込むときは思い切り落ち込んで、笑うときは思い切り笑った。本気で好きになったり、毛嫌いもした。
我慢もした。堪えることも沢山あった。
壊したくないものもあった。大切にしたいものもあった。

傷ついた分、人を許した。甘い人間になった。


僕に対してよくわからない人と言う人がいる。成る程。色々な面を持っているのは確かだ。
しかし、簡単に分からせてたまるものかという気持ちもある。
少し付き合って相手を分かった風な態度を取る人もいる。
でも実際は違う。第一印象が相手の人格ということはありうるか?自分の都合のいいように相手を解釈しているだけではないのか。

そして人は勝手に怒る。自分の思う通りに他者が動かないからだ。もしくは様々な思い込みよる断崖。
怒られた人はただ戸惑うしかない。いつも同じ気分、同じ体調てあるはずがないのに。
人と人は毎日変わっていくのに。
変わっていくことが人間なのに。


必死に自分の中で戦っている場合もある。表面上には他者にはわからず、また踏み込めない領域もある。
思えば人間は様々な位相において戦わなくてはならない。
どんな鈍感な人間でもその世界から逃げられない。社会や人と関わる以上。