仏のすごさ

仏陀(ほとけさま)は方便がめちゃくちゃうまかった。
方便は例え話なので人によっては嘘に聞こえる。
しかし、それでいいのだ。人の段階を一つづつ上に行かせる為、その時その時で嘘を言う。(実際は嘘ではない)
そして少しずつ正しい方向に導く。

アートという言葉を使わなくても内容がアートだということがある。
僕もそうしよう。生き方がアート。作品は放置。それが作品かどうかすら判別曖昧なまま。


実際僕の作っているものはよくわからない代物だ。
作者にすら制御不可能なものになってしまう。僕にきちんと制御する能力も性能もない。しかしだからといって作ることをやめるわけでもない。
怯えることも怯むことも悲しむこともない。
そういうものとして生まれてきてしまったのだ。自分の出生を嘆いても仕方がない。

仏様は偉大だったが僕はそうではない。僕は正しい方向へ導けない。方便が人を導かなかったらそれはただの嘘。
紛い物。
紛い物。
僕は正しい紛い物という立場になる。
何者かになれなかった者の代弁者。



だから少年は紙飛行機を飛ばす。だから木は歩く。だから少年は眠り続ける。
だから少年は現実から乖離し続ける。だから怪物は森に留まる。だから怪物は原罪を悔い続ける。世界のあらゆる生物を慈しんで。自らの異端さに不満を感じもせず!
だから僕は君から去る。だから僕は君に託す。自らが叶えることのできなかった、美しいもののために!