生きる印・後編(小説)

生きる印
後編







君の最後の歌が聞きたかった
僕の生きていた証に最後の歌を聞かせておくれ

僕は安らかになるから
僕は安らかに眠るから

君の静かだけれども
とても綺麗な歌を聞かせておくれ
僕は静かに眠るから、最後の別れはいらないから

僕と君の友情はいつまでも忘れないから
僕と君のいた時間は本物だから
永遠の時間を共に過ごしたのだから

だから最後の歌を
僕もいつも君のそばにいるのだから







 ついに帰ってきたマーク、そしてソーヤとの再会。ソーヤは、トリトムは、そしてマークはこれからどんな体験をするのでしょう。最後を飾る後編、始まります。


◆旅の終わり、新たな始まり

 マークは今、あの懐かしい道を歩いていました。どこまで遠くに行っても忘れることのなかった道、どんなに時間がたっても色あせることのなかった記憶。
 マークはやっとの思いで帰ってきたのです。空はあの日のように、そしていつものように綺麗過ぎるほどの青。そこに雲が一つぽっかりと浮かんでいました。その雲もいつもどおりの雲のように思われました。
 マークの心も今はあの頃の戻っていたのかもしれません。チーズと共に喜びをかみ締めながらその道を一歩一歩と進み、二人はゴールに向かって少しずつ、そしてしっかりと進んでいました。

 辺りの景色は当時の面影を残していましたが、だいぶ変わったところといえば、家がいくつも建ったことでした。しかし道に迷うほどではありません。
「ああ、やっと帰ってきました」
「そうだな。ノトリアスクを出てから2エイクぐらいかかったか」
「ルエールでは船に乗れないで大変でしたね」
「エムサエル大陸を出るときと同じだったな。そうだよな。おれらは金を持っていないんだから」
「そうですよね。それで乗せてくれといわれても困りますよね」
「ああ、だが今はもういいことだな。こうして戻ってこれたのだから」
「チーズさんはこの旅が終わったらどうするのですか」
「俺等にはこれからもたくさんの仕事があるからな。だからずっと一緒にはいられないな。一度コンブの森に帰らないと」
「そうなのですか。ずっと一緒にいられると思っていました」
「ああ、わりいな。俺もそうしたいが、俺にも使命ってやつがあってな。マークを見ているうちに俺にもやるべきことがあるんだって思ったよ」
「私を見ているうちに?」
「マークは本当にいいやつだと思うぜ。いつも誰かのことを気に掛けててさ。知らない人でも困っていたら手を貸していた。何でそんなに人のことを気にするのか、最初、俺にはわからなかった。いや、今でも本当のところはわからないけどな。でもさ、俺には生まれたときから、コンブの森の獣民としての使命があってさ。それって実際はマークのしていたことなのかなって思うんだ」
「そういう風に言われると分からなくなってしまいます。私はそんなに深く考えているわけではないと思いますよ。…。あっ、でも一つだけ言える事があります。それは私は人が大好きだということです。旅を始めようとしたきっかけも人に自分の名前をつけてもらおうと思ったからです」
「うん」
「だから私はソーヤにつけてもらったマークという名前がとても好きです。私が私でいられるんだって思うんです。それまでは私には名前がなかったから。だからあなたとか君とかって呼ばれていました」
「それじゃあ、名前でもつけてもらいたいと思うわー」
「そうですね。でも始めはそれにもあまり気にはしていなかったんですけどね」
「そうか。俺の名前は代々からなんとなく決まっててさ。親子ってさ、自分でもわからないけど、実際は似ている匂いがするらしいんだわ。そんで、コンブの森では何かの匂いの名前をつけててさ、だから俺はチーズなんだ」
「そうなのですか」
「結構食べ物の名前が多いな。別に決まっているわけではないんだけどな。不思議なことでさ。その名前のつけ方でも同じ名前になる事がないんだよな。つまり同じ匂いのものはないって事になるのかな」
「何となくわかりますよ。人間でも同じ人っていませんものね」
「そうだな。もしマークに鼻があったら、きっとあらゆる匂いの世界を知ることができると思うぜ」
「何だか素晴らしそうです」
「まあ、あのコンブの森で体験したこともマークにとってはいい経験だったと思うぜ。あの感覚は大切にして欲しいな」
「はい、そうですね。コンブさんにもまた会いに行かないと」
「まあ、気長に待っているからさ。いつか来ればいいよ」
「はい」

「本当に長い旅だったな」
「そうですね。はじめにチーズさんに会ったときのことを覚えていますか」
「覚えているさ。おりゃ―(俺)、驚いたね。俺のことを見える奴がコンブの森の獣民以外にいるなんてな。後にも先にもない例だったよ、あれは。それにマークのこと会った時から何だか気に入っちゃってさ」
「はい」
「別に変な意味じゃないぜ。マークって本当にいい奴だろう。何か惹かれるものがあったんだよな」
「そんなことはないですよ」
「だってさ、やっぱり俺のことを見えるなんて普通じゃないぜ。俺はただの霊的な存在なんじゃないんだから。もしかしたら神の使いかと何かかと思ったよ」
「それは大げさですよ。でも私だってびっくりしましたよ。夜なのに光っているトラがいるんですもの」
「そうか、おたがいさまだな。俺はな、あの時からこうしてもう何エイクもマークと一緒に旅をしているのにずっと楽しいんだよ」
「それは私もですよ。とても楽しかったですし、チーズさんがいてくれたからこの旅は成功したような気がします。本当にありがとうございますね」
「はは、なんか照れるな。まあ、こっちも、ありがとよ。こうして本当の世界を見て回ったもんな。色々勉強になったし、とても充実してた。これは新しい発見だと思うよ。じっちゃんに報告しとかんとな」
「そうですね」
「帰ったらソーヤと暮らすのか」
「そうしたいです。あの砂漠に帰るよりは今はそうしたいです。ソーヤは迷惑がらないでしょうか」
「何言ってんだよ。もちろん歓迎するし、喜ぶよ。迷惑なんてしないよ」
「そうですよね。でも私のことを忘れたりしませんかね。あれから時間が経ち過ぎた気がします」
「忘れてるわけがないよ。もしそうだとしたら、俺があいつの心の中に入って記憶を呼び覚ますから心配するな。きっとマークの記憶は心の中で大切に保存されているはずだ」
「そうだととっても嬉しいです」

(ホーム(家)…か。家族のいる所。心の安らぐする所。帰っていく所。いいな、マークには帰るところがある。俺にはコンブの森がホームか。ノトリアスクでマークの心の中に入って解った。ソーヤはマークの心の中で大事に大事にされていた。あの時マークがソーヤのことをどれほど大切に思っているか解った。だが、それと同じくらい俺もマークのこと好きだぜ。さて、旅はもう本当に終わろうとしている。俺の役目もそろそろ終わろうとしているな。)


◆ただいま

 マークは今、自分の体の中が動いているのを確かに感じていました。一歩一歩と歩くたびに体中が喜び震えているのを感じていました。そして今、リミントおばあさんの家の前にたどり着きました。ソーヤならきっとここにいるとマークは思いました。それは多分という予想ではなく、間違いないという確信に近いものでした。
「ソーヤ、ソーヤ」
マークは声を高めながらソーヤを呼んでいました。

 ソーヤはその時、家の中で熱心に絵を描いていました。そして絵の中の世界に入って絵と一緒になっていました。
 そこに懐かしい声が聞こえてきました。それはずっと昔にソーヤをとても安心させた、優しくて温かい声です。今描いている絵の中からの声のような気もしました。そこでソーヤは手の動きを止め、耳を澄ましてみました。
「ソーヤ、ソーヤ…」
間違いありません。この声は間違いなくあの声です。
「まさか、マーク!!」
ソーヤは筆を放り投げ、外へ駆け出していました。入り口の戸を壊しかねないような勢いで開け、地面をけり、飛び出していきました。あまりにも力を入れて走ったので、前につんのめり転びました。痛みも忘れて頭を上げるとそこにはマークがいました。本当にマークが帰ってきたのです。
「マーク!」
ソーヤはすぐさま立ち上がりマークに抱きつきました。確かにこの腕の中にマークの存在を感じます。本当に帰ってきたことがわかります。前よりもずっと成長したのに、それでも腕に余りました。
「ああ、マーク、やっぱり帰ってきてくれたんだね。ああよかった。ほんとうによかった。すごく淋しかったよ。ポーラは引っ越しちゃうし、トリトムは家を出ていってしまうし、マックスは寿命で…。今ね、絵を描いていたんだよ。もうあの時からずっと絵を描きつづけているんだ。リミントさんや母さんも続けた方ががいいって言っていたし、絵もすごくうまくなったんだ。それでね、何度もマークのことを思い出して、だから僕の描いた絵で、木の絵ってとても多いんだ。ここら辺もだいぶ変わったよね。でも僕はマークが帰ってくると思っていたよ。そうだ、マークが湖に着たときもこうやって抱きついたね。あのときよりは周りの家も増えたね。少しはにぎやかになったかなあ」
ソーヤはあの時のように言葉を次々と出しました。マークが間に言葉を挟めないくらいでした。しかし喜び狂った人の話はこんなものです。お互いに何を話していてもかまわないのです。お互いがそこにいることが何よりも大事なのですから。マークは数々の返答に迷いましたが、次の言葉はずっと旅をしている間から決めていました。
「ソーヤ、ただいま」
ソーヤの腕には沢山の水滴がついていました。
「マーク、お帰り」
マークの体にもとても温かい雨で濡れていました。

 少し離れたところ、その再会をリミントおばあさんが静かに見守っていました。チーズもこの旅の最後を見届けていました。
『やはり、マークにとってはここは最後に帰ってくるところだったんだな。よかったな、マーク。俺も本当に嬉しいんだ。おめでとう、マーク』

マークが気がついたときにはもうチーズは姿を消していました。


 その日、マークとソーヤは一晩中語り合いました。二人の間には長い空白の時間がありました。二人はその時間を取り戻すかのように、いいえ、追い越すかのように尽きることのない話をしつづけました。しかしマークの旅はとても長かったため、ちょっぴり疲れていました。マークはいつのまにかソーヤと話しながらも眠ってしまいました。マークが眠ってしまったことに気がつくとソーヤはマークの体から降りて、ぞうきん雑巾を持ってくるとマークの体を丁寧に拭き、体につく苔を落とし始めました。そして全ての苔を落とし、マークの体をきれいにするとソーヤはマークの下で眠りました。

『夢じゃない。夢じゃないんだ。起きたとき、側にマークがいるんだ。いつまでも側にいられるんだ。いつまでも側にいるんだ』


◆挑戦

 ソーヤには決めていたことがありました。それはもしマークが帰ってきたら都会へ行って、自分の腕をもっと磨こうということです。とにかく人のたくさんいるところで自分への挑戦をしようとしていたのです。そのことはソーヤのお母さんともよく話し合っていました。

 ソーヤの住んでいるところから一番近い都会はニカラグエスという所でした。ソーヤはまずそこに行こうと決めていました。

 ソーヤはマークが帰ってきてから、しばらくしてそのことをマークに話し、一緒に行こうと誘いました。マークは二つ返事をして、一緒にいくことになりました。ソーヤはマークと共に都会へと旅立ちました。しかしソーヤはマークがいるためにあらゆる乗り物に乗ることができませんでした。


◆ジェロケモとの出会い

 それから、2週間ほどかけてふたりはニカラグエスに着きました。
「やっと着いたね、これからはまず住まいを探さないとね」
「そうですね」
ふたりは町の中を歩き回りました。通りには車が走っていて、マークにとっては歩きにくいところでした。道には狭いとこもありました。人の多いところもありました。しかし花の都、アムアラスレスよりはましです。あそこは確かに花の都といわれるほどきれいで、大きな都市でしたが、人が多すぎてマークにとっては歩きにくいところでした。
 ソーヤはその日のうちにアパートを見つけましたが、マークは入れませんから、マークはその近くにある公園をねぐらにすることを決めました。ソーヤは長旅に疲れてすぐ眠ってしまいました。

 夜、マークはまだ寝ていませんでした。これから始まる新しいことが嬉しくて寝付けなかったのです。マークは広い公園の中で散歩をしました。この公園なら居心地がよさそうです。その散歩の途中で絵描きさんを見つけました。夜なのに一体何を描いているのでしょう。マークはその絵描きさんに近寄ってみました。
「今晩は、何を描いているのですか」
「…」
絵描きさんは黙って描きながら振り向きました。
「月をね」
そう言いながらも少し驚いたようです。
「そうなのですか」
マークはその絵を覗き込んでみました。都会の上に月が印象的に描いてあります。
「君はここに来たばかりかい」
「はい、今日ここに来ました。ボタピポポペピピタビ=マーク=マキシミリミアムといいます」
「私はジェロケモ。見た通り、売れない画家だよ」
「そんな、こんなに上手ではないですか」
「ハハハ、これは遊びで描いているものさ、本当の絵を描くと誰にも理解されない。それが芸術なのかねえ」
「芸術ですか。あの、ジェロケモさんは先生をやっていますか。その、絵の先生など」
「絵の? してないよ。人に何かを教えられるほどうまくないんでね」
「そんなことありませんよ。とっても上手です、この月の絵」
「何でそんなこと聞くんだい」
「私の友達のソーヤは画家さんになりたくてこの町に着たのです。だからです」
「ほお、画家さん志望か、教えてやることはできないが、興味はあるな。明日つれてきてくれるかい」
「ええ、いいですよ。ソーヤもきっと喜ぶと思います」
「しかしこの町で画家さん志望とはね。この町は芸術のわかる奴がいない。私の絵を理解できないなんて芸術の半分を捨てようなものだね。私だって生活があるのに」
「時間です」
「えっ?」
「時間がかかるのだと思います」
「時間、か。そうだな。いい絵と同じだ。いい絵を描くのには長い時間がかかる。これからはこのジェロケモが町の連中に芸術を理解できるように鍛えるか」
「ええ、ジェロケモさんならできると思いますよ」
「ありがとう。何だか少しやる気になったよ。前に描いていた絵で止めてしまったものがあるんだが、町の連中のためにもう一回やってみようか」
「ええ、がんばってください。では、おやすみなさい」
マークはジェロケモが絵を描くのに邪魔にならないうちにその場を去りました。そして明日から始まる新たな生活に胸を弾ませながら眠りました。

 夢を見ました。ソーヤと久しぶりにサッカーをする夢です。ソーヤとサッカーをするなんて、たとえ夢の中であろうと何年ぶりでしょうか。

 次の日、ソーヤは昨日のことをマークから聞いて、ジェロケモに会いに行きました。ジェロケモは昨日と同じ場所で違う絵を描いていました。
「こんにちは」
「ああ、君が例の友達か」
「はい、絵は大きいものは持っていませんが、小さいものならあります」
そう言って、ソーヤはジェロケモのスケッチブックを渡しました。ジェロケモはスケッチブックを受け取ると、丁寧に紙をめくっていきました。
「ふーむ、えーと、君の名前は何だったっけか」
「ソーヤです」
「ソーヤ君、君はなかなかの腕を持っている。誰かに習ったのかい」
「はい、学校の先生に習いました」
「これなんてなかなかいいじゃないか」
「ああ、これですか。木の絵はマークのことを思い出して何度も描きましたから」
「ふーん、まあ、お互いにがんばろうな。私が君に教えることは何もないが、応援ぐらいはさせてもらうよ」
「そうですね。がんばりましょう」
「仕事として、町の絵や、人の絵を頼まれることもある。その時には君も推薦しておこう」
「はい、ありがとうございます」
「それだけの仕事だととても生活できないと思うから、何か他に仕事を探したほうがいいと思うよ」
「わかりました」

 その日、ソーヤはお昼になるまで公園で絵を描いていて、お昼を過ぎると町へ仕事を探しに行きました。マークは一緒に歩くと邪魔になると思って、公園にいることにしました。そして当分はこの公園にいることになるなと思いました。



◆三エイク後のリミントさんへの手紙から

『リミントさんへ
 リミントさんの元気ですか。病気はしていませんか。僕は元気です。このニカラグエスにきて、もう3エイクくらいは経つでしょうか。その間に僕の絵も前よりもだいぶうまくなって、今では僕の絵も少しは売れるようになりました。それよりすごいのはジェロケモさん。ジェロケモさんは町に新しく創ることになった時計台のデザインを任されました。ジェロケモさんはもう大喜びです。だから今、ジェロケモさんは一日中時計台の事を考えています。
 もう一つ大きな事件がありました。それは、ポーラに会った事です。ポーラはあの後2回引越しをして、今はニカラグエスの学校に通っているそうです。とってもびっくりしたよ。同じ町の中に住んでいたのにずっと気がつかなかったなんて。今では時々会って色々な話をしています。
 マークは相変わらず公園の人気者。いつも子供達に囲まれて一緒に遊んでいます。それを見ては僕の子供だった頃を思い出しています。
 また手紙を書きます。病気には気をつけて下さい、そしていつまでもリミントさんがお元気でいられますように。

ソーヤより』


◆黄金の再会

 ソーヤとジェロケモ、そして他の芸術家達の努力によって、ようやくニカラグエスに住む人達に芸術を理解してもらえるようになってきました。
 そしてある日、町ぐるみで芸術家達によるコンクールが開かれることになりました。このコンクールは芸術とはいかなくても、絵を描くのが好きな人や、芸術家を目指すような人でも参加できるような幅の広いコンクールでした。
 ソーヤは、そのコンクールにたくさんの絵を出しました。この何年間、ソーヤはいろいろな絵を描き、そしてまた一段と絵の腕を磨いてきたのです。ジェロケモもそのコンクールに沢山の作品を出しました。
 コンクールには沢山の人が見に来ました。その中にはソーヤのお母さんや、リミントさんもいました。ポーラも見に来ました。コンクールには特別な賞はありませんでした。それは、芸術というものは、人によって捉え方、感じ方、そしてそれに対する思想が違うために誰かの審査による賞(または順番決め)は個人個人の芸術観を否定してしまうのではないかという考えからでした。
 しかし、ソーヤの絵は、見に来た人多くの人を納得させるだけのものでしたので、それからというものはソーヤに絵の注文をする人が増えたのは言うまでもありません。

ソーヤは今日、自分の作品の前で沢山のお客を迎えていました。そこへ、ソーヤのお母さんとリミントがやってきました。
「ソーヤ」
「ああ、お母さん、それにリミントさんも。来てくれたんだ」
ソーヤは顔をほころばせて言いました。
「それは見に来ないとね」
「ありがとう。ゆっくり見ていって」
「マークはどうしたんだい」
「マークは近くの公園にいるよ。ここじゃあ邪魔になるっていってさ」
ソーヤが今日一つ残念に思ったことは、マークのことでした。マークにも今日の晴れ晴れしい姿を見て欲しいのにマークが見れないこと、それにマークがこの絵を飾る部屋の中に入ってこれないこと。それらが、ソーヤを残念にさせるのでした。
「そうかい、また後で会いに行かないとね」
「うん、きっと喜ぶよ」
「また後で」
「はい、また」
「そうそう、さっきポーラにも会ったわよ」
「本当? 来ているんだ」
「そろそろこっちにも来るんじゃないかしら」
「うん」
「後でみんなで食事でもしましょうよ」
「うん、いいね」
ソーヤはそれからコンクールに来た色々な人達とお話をしていました。そうするうちにそこにポーラがやってきました。
「ソーヤ、元気?」
「ああ、ポーラ、僕は元気だよ。ポーラこそ元気だったかい?」
二人は実に嬉しそうに話をしました。
「うん、元気だったよ。ソーヤが今までどれくらいがんばってきたか見に来たよ」
「そう言われると恥ずかしいな。まあ、僕なりにがんばったから、ゆっくり見ていってね」
ソーヤは口元を緩めながら言いました。そのとき、ソーヤは誰かに肩をたたれました。振り向くとどこかで見たような年上の男が立っていました。
「ソーヤ、げ、元気か」
その話し振りもどこかで聞いたような感じのものでした。
「まさか、トリトム?」
「そうだ、よ」
ソーヤは驚きを隠すことができませんでした。肩をたたかれた事でも突然なことだったのに、目の前には数エイク前に姿を消したトリトムがいるのです。
「トリトム、今までどうしていたの。ずっと連絡もくれないで」
「そうよ。急にいなくなるんだもん」
そう言いながらもポーラもソーヤもとても嬉しそうです。
「ああ、ずっと、この、町で働らい、て、いた」
「この町で?」
「そう、この町で、今は商、売をやっている」
「そうだったの。ずっと気がつかなかったよ」
「お、俺も気がつかな、かった。俺もびっくりして、そしてびっくりさせてやろう、と、思って、今日来た」
「ありがとう、嬉しいよ」
「ソーヤ、も、ずっとがんばって来って事、わかった。もうずっと前よりもうまくなっている。もう今は人に胸を、張れる」
「僕なんてまだまだだよ、まだこれからだよ」
「そうか、そういう、気持ち、大事。これからも、頑張れ」
「うん、がんばるよ。後でみんなで食事をするんだけど、トリトムも来て、一緒に食事をしようよ。ポーラもだよ」
「おお、それいい、ありがとう」
「ふふ、ソーヤと食事なんて久しぶりね」
「そうだね」

 その日の夜、久しぶりに会ったそれぞれの顔なじみは、とても楽しい食事をしました。ソーヤ、トリトム、ポーラ、彼等は何年か前、とても仲のよい三人組でした。しかし、トリトムがリミントの家から何も言わずに急に出ていった後は、ソーヤもポーラもトリトムに会うことはありませんでした。ソーヤの母シーネとリミントはいつでもこの若い三人組を見守っていましたが、やはりトリトムがいなくなった後は、彼等とはめったに顔を合わすことはありませんでした。トリトムがいなくなった後、ポーラは引越し、ソーヤだけが残りましたが、そのうちにソーヤもこの町、ニカラグエスにやって来たのです。マークもソーヤ以外の人とはずっと会っていませんでした。その中で旅先で出会ったトリトムがいた時、マークはその偶然を喜ばずにはいられませんでした。その夜の食事はみんなにとって一生の宝物になるような思い出になったことでしょう。


◆ 悪魔テイルの報告

 楽しく素晴らしい再開の食事もある者にとってはただのチャンスに過ぎませんでした。そこで見ていた者、その者は遥か昔に分裂したもの、それは邪悪で、傲慢で、冷たく、ずるい生き物。そして世界を我が物にしようともくろむ者達、人間達に悪魔と呼ばれているものども。その悪魔の下っ端がマークたちの食事風景を見つけ、その中であるものを見つけたのです。

 ディビヴァイラスが住むとある暗黒街の秘密の地下室では今まさにその悪魔がある報告をしようとしていたところでした。
「ディビヴァイラス様、報告します、見つけました。おどろくことにあれは、人間の中にはありませんでした」
「というと?」
「はい、あれは、ある木の中にありました」
「木、それはほんとうか?」
「はい、恐らくは。彼等からは何か邪悪な波動を感じます。それに、その木はただの木ではありません。歩くことができ、しかも人間の言葉を解します」
「そうか」
「私はその者をしばらく監視していましたが、彼から感じる精神、そして、奇跡の連続。近づくだけで体に重い苦痛を感じました」
「そうか、ハハハ、やっと見つけたぞ、まさか木に転生していたとはな。どうりで長年探していたのにもかかわらず見つからなかったわけだ。おい、バビデル、後はお前に任せる」
「はい、お任せを」
「それと奴の転生を見破ったテイル、お前は2階級特進だ」
「はい、ありがとうございます」
「奴をかくせい覚醒させてはならぬ。やっと見つけたのだからな。あの忌々しい光の一族め。今度こそ根絶やしにしてくれるわ。ぬかるなよ」
「はい」


◆突然の不幸

 それから数日がたった、ある日のことでした。ソーヤは、いつものように、ジェロケモと二人で絵を描いていました。
すると突然、ジェロケモが苦しみ出したのです。
「く、苦しい」
「ジェロケモさん?どうしたの?」
「む、胸のあたりが、苦しいんだ」
「大丈夫?顔色が良くないよ。とにかく病院へ」
ソーヤは突然のことに驚きましたが、すぐに病院に連れて行きました。しかし、病院のほうでも、ジェロケモが何の病気なのか、わからず、ただ戸惑うばかり。そのうちジェロケモは意識を失ってしまいました。

 その数日後、ソーヤの母親も謎の病で倒れ、そのまま意識が戻らなくなってしまいました。ソーヤはすぐさま家に戻り、看病を続けましたが、医者から聞いた話によると原因は不明で今後は明るい見通しはないらしいのです。
ソーヤは突然訪れた不幸にどうしていいのかわからずただ悲嘆に暮れました。
そして、後から来るマークを家の外で待っていました。
こんなとき、マークなら、何かソーヤを安心させる言葉をかけるのでしょう。
「おい、お前」
そこへ後ろから突然の声がしました。振り向くと誰もいません。
「誰? どこにいるの?」
ソーヤは辺りを見渡しましたがそこではただ風が吹いているだけで、他には何もありませんでした。
「気のせいではない。俺はここにいるのだ。俺はこの世の悪を司る者だ。悪魔と呼んでもらって結構。最近、お前の周りにやけに不幸が訪れると思わんか」
「悪魔、そこにいるの?」
「ここにいる、お前のすぐ側にいる。お前の不幸は俺様が仕向けたものだ。俺様に狙われたが最後、一生お前は不幸だ。だが、お前を簡単には死なせない。わかるか。一生苦しみ、もがき、夢も希望もない、そして死ぬこともできない人生」
「なんでさ、どうして、どうして僕が…」
「お前にその理由を話して俺様が何か得をするのか。一つの取引がある。もしそれに応じれば、これ以上お前に不幸が降り注ぐこともないだろう。しかし応じなければ…わかるな。一生の選択であること、忘れるなよ」
「僕、どうして、なんでさ」
「応じるのか」
「な、何をすればいい、いの?」
「マークを引き渡せ。それだけだ。応じるか」
「何でマークを?」
「応じるのか?」
バビデルはソーヤの質問を無視して言葉を続けました。
「そうすれば母さんは?」
「ああ、死ぬこともないだろう」
「…(ああ、母さん。でもマークは、マークは世界で一番大切な友達。)」
「黙ってちゃわからんなあ。応じなければお前の母親は必ず死ぬ。いいか、必ず死ぬぞ」
いじわるで冷たい声。
「…。(ああ、どうしようどうしよう。母さんも世界でただ一人の僕の母さん。)」
「今ここでお前の母を殺してもよいのだぞ」
「待ってさ、それは待ってよ」
「どちらかを選べ、マークを引き渡すことを勧めるぞ。別に引き渡したからといって殺すわけではないのだからな」
「本当に?」
「悪魔に二言はない」
「じゃあ、…」
「応じるのか」
「お、応じるよ」
「では、明日の夜にマークをここに連れて来い」
「…」
「逃げようなどとは考えるなよ。どこへ逃げても我らはずっと見ているからな」
「マークはどうなるの?」
「お前の知ったことではない」
その言葉の後、悪魔は姿を消したました。後に残ったのはただの静寂だけ。そこにポツンと残されるソーヤ。


◆満月の夜に

 今までこんなに辛い選択をしたことがあるでしょうか。ソーヤはずっと考えていました。ずっとずっと次の日、マークがソーヤの元へたどり着くまで、他に何にも手がつけられないほどに考えていました。でもやはり母親を殺すようなことはできませんでした。
 とてもとても辛い選択、これが悪魔のやり方。汚い汚いやり方。でもそれを破ることができないソーヤの立場。今日の夜、ソーヤはマークを悪魔に差し出さなければなりませんでした。もしかしたらこれが最後の別れになるのかもしれません。これが最後ならば正直にこのことを言ったほうがいいのでしょうか。ソーヤはそう想い、マークに昨日あったことを正直に話しました。

「そうだったのですか。でも命までは取らないというのならば安心です。私が行くことでお母さんが助かるのなら、私が行かなければ」
「でも奴等が嘘をついていたら?」
「どちらにしろお母さんが治る方法がそれしかないのなら悪魔にでもすがりましょう。私だって死にたくはありません。しかし他に方法はないでしょう?」
「どうしてこうなってしまったの?今までは何にもない普通の生活だったのに」
「きっとこれは決まっていたことなのでしょう。私は何かに選ばれたものなのですよ、きっと。だから私が特別であることができた。だから今までが特別だっただけですよ。今までが」
「ごめんね、ごめん、マーク。本当にごめんよ」
「かまいませんよ。私はソーヤがとても好きでした。私にとってソーヤは世界で一番大切な友達でした。私はソーヤの思っていること、感じていることを一番よくわかっているつもりです。初めて会った時からずっとそうだったつもりです。でもきっと今日でお別れですね。とても残念です。思えば私がこの世にいることが不自然なことだったのかもしれませんね」
「そんなことないよ。マークは誰からも必要とされていた。いつも誰かに必要とされていた。マークは、マークは僕の孤独な心を優しく包んでくれた。僕だけじゃない。誰の心をもいつも安心させ、温かい心で誰かを幸せにしていた。とてもうらやましかったよ。僕はマークがとってもうらやましかった。僕には何にもできなかったこと、たくさんあったよ。マークはいつもなんでもできているようだった。そんなマークが僕の大切な友達だった」
「私のすることが正しいこととは思いません。でもこれは仕方がないことなのです。ソーヤ、私からも言います。許してください。私は行きます」
「僕も行くよ。きっと大丈夫だよ。大丈夫だよ…。そうでないと、そうでないと悲しすぎるから」
「誰もが幸せに暮らせる世界ができること。それが私の夢でした。でもそれは私にとって都合の良い想いだったのかもしれませんね。行きましょう、ソーヤ。例え悪魔にこの魂を奪われても私の心はいつでもソーヤの側にいるでしょう」

満月の夜に照らされた草原の中にふたりはいました。そしてあの邪悪な者共を待っていました。長い時間が経ったように思いました。そして二人が不審な気配に気がついたとき、すでに悪魔が近づいていました。
「お前がマークか?」
「はい、そうです」
「お前は自分のことなど何も知ってはいないだろう。お前がどこから来たのかどこへ行くのか。しかしその体の中にある魂がしっかりと知っている。お前は私等にとってもっとも邪魔な存在なのだ。んん? 何も知らんのもこちらとしても面白くない。親切に教えてやろうか。んん? そのほうが魂の取りがいがあるというもの」
「そうですね。私の最後のはなむけにもなりましょう。ただし一つだけ約束をして欲しいことがあります。わかっていますね。ソーヤのお母さんとジェロケモさんを助けてください。彼らには何の罪もありません。そしてこの少年にも。私だってあなたの邪魔などしたこともありませんし」
「おおたわけが、お前が今までしてきたこと全てが邪魔だったのだ。お前は事あるごとにその聖なる精神を使ってこの世に光をもたらした。お前の周りで今までいくつの奇跡が起こったと思っているのだ。この世は秩序だけで構成されてはならぬのだ。決してならぬのだ。それなのにお前達光の一族はこの世を光で埋め尽くそうとしている。それがこの世界にとってどれだけの悪かもわからずに。この世を秩序だけで固めたらそこに何が起こるかわかっているのか。そこのあるものはあって、ないものだ。何の変化もなく、悲しみも喜びも怒りもなにもない世界。変わることのない世界。やがて光も闇も消えるだろう。それがあることに意味がなくなるからだ。そして最後には全てものが止まるだろう。そしてこの宇宙に終わりが来て、何もなくなるのだぞ。はっきり言おう。お前のしていることが悪なのだ。お前のしている事が一番の悪なのだ」
「そんな!そんなのは嘘です」
「嘘ではない。少年の母親が死のうがなんだろうが、私達はこの世界を保つことを知っている。そのための仕事だ。だがお前のしていることに何かの意味があるのか。この世界に、宇宙に終わりをもたらそうとしているお前のしていることに」
「私のしていることが悪だなんて…」
「お前は知らなかっただけなのだ。魂だけを埋め込まれ、その意思だけで生きてきたお前が知っているはずもなかったのだ。だが、私に任せればその罪を償わせてやろう。もう二度と過ちを繰り返さないように」
バビデルはそういうとニヤリと口を歪めました。
「嘘だ。マーク、こいつの話をこれ以上聞いちゃいけない。こいつの話が本当であるはずがないんだ」
「ソーヤ…」
「お前の意見なんて聞いてはいない。これは私とマークの話なのだからな。」
「マークはいつもいつも誰かのために生きてきたんだ。マークはたくさんの人を幸せにする力があるんだ。マーク、それは奇跡だよ。誰もが持っていない力だよ。それは素晴らしい力だよ。それが悪なはずがないよ」
「幸せ? ハハハ、一体何が人間にとっての幸せなんだ。笑わせる、幸せの本質も知らない人間にとやかく言われる筋合いはない。マーク、お前にならわかるよな。人間だけの幸せが本当の幸せでないことが。んん? お前は人間だけでなく、他のどの動物とも話せるそうじゃないか。そのお前になら私の言うことの意味を理解できるよな」
「私は、ソーヤ、誰もが幸せになれる世界が好きなのです。幸せを感じる生き物は人間だけではありません。でももう、私にはわかりません。いつも自分が正しいことをしていると信じてここまでやってきました。でも今は、わかりません」
「人間の幸せは‘想い’だろう。だが、それでは本当にこの世界を幸せにすることはできない。これは、ソーヤ、お前には理解できないことなのだ」
「そんなことはない。僕はマークといるとき、いつでも幸せだった。その心の嘘はないよ。マーク、負けないで。マークはいつも正しいことをしてきたよ」
「お前のごたくをこれ以上聞く必要はない。マーク、覚悟はできているな。これがお前にとってもそしてソーヤにとっても‘幸せ’なことなのだ。そうだろう?」
(誰か助けてよ。誰かマークを助けて。もう僕を一人にしないで。あの頃の僕の戻さないで、神様。)
『マーク、ここにいたか。間に合ってよかった』
「チーズさん!」
「誰、誰か来たの?」
『おい、お前。俺が来たからにはこれ以上マークには手出しはさせないぜ。覚悟はできているだろうな』
「何だお前は、白い光のトラ?
(何だか嫌な予感がする。新たな光のプログラムか?)」
『お前に命を賭けるほどの勇気があるか? その勇気があるのならマークの魂を持っていくがいい。だが、それが成功することはない。この俺がいる限りな』
「ばかな。こちらには人質がいるというのにか」
『人質、マーク、本当か?』
「そうなんです。だから私の魂と交換条件で…」
『この悪魔め。こんなときに!』
「君こそ、その大切な命を使う勇気があるのかね。ん?」
『命は誰でもたった一つ。だが、俺はもうすでに死んでいるんだ。これ以上迷うことなどあるかよ。マーク、突然過ぎてわからないかもしれないけれど、ごめんな。いつか誰かコンブの森の獣民に会ったら聞いといてくれ。マーク、お前は今まで色々なものを俺と一緒に見てきたよな。そのこと、一つ一つを思い出してくれ、それは本物だったはずだ。お前のこれからすること、できること、たくさんあるはずだ。そしてそこに心がかかわってくることがどれほど重要かは精神世界で見てきたはずだ。もうマークと一緒に旅ができないと思うととても残念だよ。俺もソーヤと一緒なんだ。俺もマークのこととっても好きだぜ。そして俺のやるべきこと、それはマークから学んだことなんだ。だがここで俺の使命も終わり。後は任せたぜ。じゃあな。悪魔め、覚悟はできているだろうな』
(やはり危険な気配がする。逃げるか。いや、だめだ。俺にも誇りがある。)
『俺はできている!。』
そう言うとチーズはすごい速さで悪魔バビデルに体当たりをしました。そうするとふたりの体は空気の中に散るように消えてなくなりました。消滅、それは、命の消滅のようにも思われる光景でした。

「な、何だ、これは? デ、ディビヴァイラス様!」
『マーク、さようなら』
「まさか。まさか」


 僕はその時初めて見ました。マークがいつも話していたトラのチーズさんのことを。ずっと昔から僕の事を知っていたチーズさんのことを。どうしてこんな最期になってから(しかもこんなに辛い場面を)見えるのでしょう。どうしてこんなに胸が痛むのでしょう。どうしてこんなに悪いことが続くのでしょう。どうして…。


◆それからとこれから。

 チーズさんとの再会とその別れはあまりにも早過ぎました。そしてその時にやっと思い出しました。もう何エイクも前にコンブさんから聞いた悪魔と天使、そして神様の話を。あのときはとてもその話を信じることはできませんでしたが、今は全く変わりました。私はもう一度コンブの森に行き、真実を確かめなければならなくなりました。私が特別だなんて思いません。私はずっとソーヤと暮らせたらいいと思っていたのですから。今でもその気持ちは変わりません。ずっと見守っていたい。ずっとそばにいたい。そういう気持ちになれる友達が私にいるということが私にとって幸せなことなのです。その大切な友達の人生を大切にしたい。そう思います。だから今私がコンブの森に向かい、ソーヤと別れるとしたら、それはとてもつらいことなのです。もっとずっといたい。そう思うのは決してぜいたく贅沢な願いではないはずです。ずっと何エイクも旅を続けてその間もソーヤは待っていてくれました。その気持ちを大切にしたい。しかしそれはチーズさんも同じ事なのです。チーズさんと私は一緒に何エイクも旅をしました。その間ずっと気持ちが通じ合っていたようだった。私はチーズさんのことをとても好きになりました。チーズさんも恥ずかしながら私のことを好きだって言ってくれました。その気持ちも大切にしたい。ソーヤといっしょにコンブの森に行くか。私だけでコンブの森に行くか。それともコンブの森には行かずに私たちがするべき人生の仕事を優先するのか。
 コンブさんは言っていました。自分の人生のことは自分で決めるべきだって。あのコンブさんでさえ、人の人生を決定することなどできないのですね。だからこそ私が決めなければならないのです。
 しばらく考えて、またコンブさんの言っていたことを思い出しました。
『すべてが終わったらまたここに来てね。』
そんなことを言っていたと思います。すべて…それはコンブさんにとって何を意味するのでしょうか。死ぬことのないコンブさんにとっての時間は?悪魔との衝突、そして世界の危機、私はなんだか嫌な予感がしてなりません。チーズさんの死がその予感をさせるのです。チーズさんは自分はもう死んでいるんだって何度も私に言いました。でもそれはあくまで肉体の話をしていたのではないかと今は思います。そのチーズさんが完全にこの世を去ってしまう。それは消滅したということ。それがなぜ起こるのか、どうして起こったのかは私にはわかりませんが、とにかくただ事ではないような気がします。
そしてソーヤが前と少し変わったように感じることにもその予感がするのです。前はとても綺麗で澄んだ瞳をしていたのに、今はそれにある力が加わったような気がするのです。それはこれから起こる何かに対しての保護をするかのような力のように感じます。それがただの気のせいならばいいのですが…。


◆ソーヤからの提案

 僕は、今日になるまで、マークとはほとんど口を聞いていなかった。なんだか怖くて、いろいろなことを聞くのが怖くて、でも、マークはそんな僕の気持ちを察してくれたから、マークも僕に話し掛けてこなかった。でも、僕はもう今までのように何も知らない人間じゃないんだ。
 マーク、君は今までずっとこんな僕には見えなかったいろいろな世界を体験していたんだね。僕は今までそんなことに気がついたこともなかった。マークがこの世界の幸せを願って今までいろいろやってきたこと、僕が手伝わなきゃ。一番そばにいる僕が何にもしないわけにはいかないじゃないか。そう思って、僕はマークから話を聞いて、チーズさんのこと、そして悪魔たちのこともわかった。本当にそれは僕等人間の世界ではないような話だった。

「マーク」
「はい、なんですか」
「マークはこれから、もう、また、行ちゃうんだよね」
「…」
「マーク、また行っちゃうんだよね」
「ソーヤ、でも今度は…」
「僕も行くよ。もう置いてけぼりになんてしないでしょう。僕も行く。いつでもいっしょにいるよ。君の力になりたいんだ」
「ソーヤ、ありがとう。私はうれしいです」
「僕のほうこそ、今になって僕はわかったんだ。マークのほうがとても大変だったって事。実は昨日僕、見ちゃったんだ。チーズさんのこと」
「えっ、それは本当ですか」
「本当だよ。トラのチーズさんの話は前から聞いていたけれど、見ることができたのは昨日、最期のときだけ」
「ソーヤ、あなたは、まさか、そんな残酷なことを?神様。(あの悪魔たちと戦えと?)」
「きっとマークの力になれるのは僕しかいないんだ。そうだよね。これからコンブの森に行くんでしょ。いっしょに行こう」
「ソーヤ、あなたは巻き込みたくなかったです」
「僕も怖い。これから何が起こるのか」
「とてもつらいことですよ、それは」
「でも僕がやらなきゃ。それはマークがいつかやらなきゃいけないって言ったことと同じ事だよ」
「そうですか」
「そうだよ」
「では行きましょうか」
「うん」

 ずっとマークと付き合ってきて、そして今になってわかったことがある。それは分かったっていうようなものではないかもしれないけれど、本当にわかったって言えることじゃないかもしれないけれど、僕は感じたんだ。本当に孤独だったのはもしかしたら僕ではなく、マークではなかったんじゃないかってこと。マーク自身にも知らない過去がある。それはマークが思い出せないから、マークの記憶の一番はじめはいつも砂漠の中から始まる。一番はじめの記憶が砂漠の中、しかも一人ぼっちという、そんな記憶しかないなかで生きてきたマークのほうが本当は淋しかったんじゃないかってこと。マークはそのことについてほとんど言わないけれど、それってとってもつらいことだったと思うよ。だからかな、マークがあんなにも優しいのは。だからかな、マークがこんなにも僕のことをわかってくれるのは。でもこれからは僕もマークのこともっともっとわかってあげるんだ。うれしいこともつらいこともいっしょに分け合うんだ。


◆再びコンブの森へ

 マークはまたコンブの森へと旅立ちました。そこにつくまでの間、どんなにじれったかったでしょう。今までは心の中で呼べばいつでも着てくれたチーズがいなくなったて、どんなに悲しかったでしょう。

「ソーヤ、着きましたよ」
「んん、この森かい?」
「はい、そうです。では行きましょう」
マークはそう言うとコンブの森へと入っていきました。そして入ってからソーヤが後をついてこないのに気がついたマークはすぐさま戻りました。
「ソーヤ、どうしたのですか」
「入れないんだ。入るとマークが消えちゃうんだ」
「カモフラージュですか。実際にも森として見えるのですね」
「どうしよう、ここまで来たのに」
「まだわかりませんよ、見えるのだけれど、入れないのかもしれません」
「でも、ここから入れないんでしょ」
「少しの間待っていてくれますか」
「うん」
 マークはとりあえずコンブに会いに行くために中に入っていきました。
そしてしばらく歩き、また前のように森の中央に着きました。チーズの案内がないのにもかかわらず森の中で迷わなかったのがなんとも不思議でした。
「マーク、来たのね」
コンブはマークがここに来ることがわかっていたように話し出しました。
「コンブさん…チーズさんが」
「んん、わかってる、チーズはよくやったよ」
「ごめんなさい」
「マークが謝ることはないね。チーズも自分の使命についてはよくわかっていたはずだから、しかしあいつのような若い者が先にいってしまうのはとっても惜しいね」
「はい、とても残念です。今日は私の友達、ソーヤといっしょに来たのですが、どうやらソーヤも何かを持っているようなのです。見てくれますか」
「ここには来れなかったのかい」
「はい。でも、チーズさんのことは見えたようなのです」
「薄い血か。もしかしたら、また奇跡が起こったのかもしれないね」
「奇跡?」
「とにかく見てみようね。タケノコ長老」
コンブがそういうとどこからともなく声が聞こえました。
「アーい」
そしてその声は水溜りを踏んだときのピチャピチャというような音を残して消えました。
「前にね、君の親御さんが来たね」
「本当ですか。ここに来られたのですか」
「うん、私も知らなかったことなのでね、いろいろ調べたよ。それはなぜここに入れるのかということから始まるよね。そしてね、私はある予想を立ててみたのね。それはこれから君が聞こうと思っているチーズのことや、悪魔のことにもつながる話なのね。私たちが生まれて、間もないときのことだね、あれは、あの時まだ私は半生ではなく肉体を持った存在だったのね。そしてまだ私がこの森の主になって間もないときだった。ある日のこと、この森に入ってくる人間がいたのね。私たちみんなはびっくりしたよ。この森には人間なんて入って来れないようにできていたのだから。話を聞くと彼は王族の者で、この森を見て不思議がって(見えたことが)入ってきたらしいのね。あのときはまだ人間もあまりはんえい繁栄していなかった時代だったのね。そして悪魔と人間が戦っていた時代のちょうど後の時代だったのね。私たちはその悪魔たちへの対抗手段として生まれた存在だったのね。人間たちにもね、私たちと同じように悪魔に対抗する光の意識を持ったもの達がいるのね。この森に入ってきた人間もその一人なのね。彼等はこの森に入って来れたり、私達を見えたりという特徴を持っているのね。私は彼等が神の意志を継いだものとして解釈しているよ。だから最初マークに会ったとき、マークがそうなのじゃないかって思ったんだ」
「実際にそうなのですか」
「多分ね。同じものを感じるから。でも、もしかしたらマークはそれ以上なのかもしれない」
「それ以上?」
「神の新たなプログラム」
「なんですか、それは」
「あくまでも、予想でしかないのだけれどね。私たちは神様から創られた。だからマーク君ももしかしたら、新たな私達の仲間として作られたのかも。そうだとしたら、君の親が創られたものだと思うけれど。とにかく私たちは少なくともそうなのね。私たちは悪魔たちと戦うためにこれからも生きていくんのね。だからチーズはその使命を全うするためにこの宇宙に散った」
「散った…ですか。そう言う風に見えました」
「あれがこの宇宙との干渉であり、そして死なのね。私たちをつなげている意思が砕け、散ったのね。もう何年も前にその話をしたよね」
「ええ、死はチリのようなものだ、でしたっけ」
「そう、君たちは連続した心をその肉体の中に閉じ込めそれをつなげて生きているのね。だから肉体が死ぬとそれを死として認識してしまう。肉体の外に連続した心の塊を出すことができないから、肉体が死ぬと制御ができなくなるのね。チーズと悪魔に自分の意思をぶつけた。相反する意思同士のぶつかりの衝撃が、固まった意思を砕いたのね」
「だから、心が散ってしまうと」
「そう言うことね。そして宇宙の意識の粒子体、その一つ一つになるのね」
「チーズさんは今そのかけら欠片の一つに?」
「そう、…チーズはその欠片の一つ一つとなって、この宇宙の中に帰っていったのね。それは私たち半生生物だけが感じるもの。そのたくさんの欠片がね、いつも私たちの中を通っていくのね。その中で前に一度だけチーズの欠片が私の中に飛び込んできたことがあるよ」
そういってコンブはとても悲しそうな淋しそうな目をしました。
「そうですか」
「今までは私たちの存在は隠しつづけてきた。私たちは悪魔に対抗する2番目のプログラムだったから。でも、もう、悪魔たちは私たちを認識してしまった」

 一方ソーヤは退屈そうに森の外でマークを待っていました。そのとき、どこからともなく奇妙な音が聞こえてきました。
ピチャピチャ
「?」
ピチャピチャ
ピチャピチャ
「んん。なんだ」
ソーヤは周りを見渡しました。一体どこから聞こえてくる音なのでしょう。
ピチャピチャ
「君がソーヤカーい」
「どこ?」
「君の足元サー」
「ええ、何さ、君は。だれ?」
「私はタケノコ、サー」
「君がタケノコ?」
「そうサー、君は私が見えるのカーい」
「うん、フグみたいな魚…」
「そうサー、もう長年生きてきて、いろいろ修行したから今では地上にも出られるのサー」
タケノコは地面の上を跳ねまわりながらそう言いました。
「跳ねて移動するの?」
「そうサー。君は私が見える。……ん?、あれ、デモなんで?私はまだ肉体を失ってはいないのサーのに。だから私が見えて当たり前なのに。コンブは何で私に行ってと言ったのサー」
タケノコは不思議そうな顔をしながら跳ね続けました。
「ねえ、マークはどうしてるの、まだ帰ってこないの」
「どうしてだろう、私じゃこの子に何があるのかわからないサー」
「僕に何があるって?」
「特別な力サー」
「特別な力?」
「正しいことと間違っているものを見分ける意識の力、そして悪魔と戦う光の力。奇跡の力サー」
「それはマークのもっている力じゃないか」
「それを判断するのはコンブサー。コンブがきっとマークの力を引き出すだろうサー。でも、どうやら君は力不足のようだサーなー」
「ここに入れないから?」
「ああ、君はこのまま帰ったほうがいいサー。それが君のためだサーなー」
「嫌だ。それはできないよ」
「でも、マークはこれから君とは全く違う道を進むだろうサー。その道は君が歩くことのできない道だろうサー」
「そんなことないよ。奇跡はきっと起こるよ」
「君の澄んだ瞳、信じる力、それだけが頼りになるだろうサー」
「これからはずっといっしょにいられるような気がするんだ。僕にもその力があるような気がするんだ」
「奇跡か、奇跡かサー。私もマークにはそれを感じるサー。だからこそ私達にはそれが謎なのサー。なぜ私たちの知らないところで知らないことが起こっているのか。そしてそれの答えとして一番簡単で納得しやすかったのが、新たな神のプログラムとして生まれたのがマークということ。それが私たちの答えだサー。もしそれならばマークは私たちと同じ戦士。光とともに生まれ、この世に光をもたらす存在」
「えっ、何のこと? 何の話?」
「人間にはわかりにくいだろうが、私たちの戦いは人間とはやり方が違うのサー。肉体を持たない私たちの戦いは意思と意思の戦いなのさ。意識と無意識、生まれたときから持っているその精神同士の免れようのない戦いサー」
「宇宙の意思?」
「いいところに気がついた。それサー。私たちでさえ神様の事についてはほとんど知ってはいない。ただしその意思だけはこちらに届いたサーから」
「僕も時々感じることがあるよ。何かに動かされるように絵を描いたり、心が動かされたり」
「君たちの感じるそれと私らが感じるそれは違う気がするサー。やはり人間では限界があるサー」
「なんでさ、何で人間じゃだめなのさー」
「確かに人間は心の面ではとても未熟だ。しかし私らではできないことがあるサー。それは君たちの住んでいる世界を創るということ。君たちの住んでいる世界は君たちでしか創ることができないのサー。君たちだけじゃない。君たちの星に住んでいる生き物達みんなデその世界を創っているのサー」
「僕等の世界を?」
「そう、君達の世界サー。君達の世界は君達だけでしか作れないのサー。私達がしていることはその手助けだけだサー」
「ふーん」
「私たちがしているこの意思の戦いもこの星をめぐるこの戦いも、本当は私たちの戦いではないのだサーよー。本当は実際に生きている君達の戦いなのサー。この世界を創ることのできる君たちの戦いの意思がここにあるのサー。私たちは君たちの意思。神はこの世を二つに分けた。君達、肉体を持つものと、私達精神を持つもの。お互いにお互いに持つものにはかなわないようになっている」
「難しいよ。よくわからないよ」
「そうサーか。じきにわかるようになるサー、初めてには難しいかもしれないけれど、確かに、感じはじめてきたサー。私はまだ、このとおり、肉体を失ってはいない。でも、私はコンブが生まれた時代から生きていて、肉体を失っていないのに、心を感じる力があるみたいサー。君には、何か、違うものを感じる。人とは何か違うものを感じる」
「何、何さ、それは」
「光…。君は、もしかしたら、いや、そんな偶然は…。
それにこちらで把握しているはずであるし…」
「何よ、ひとりでしゃべってて」
「いや、もしかしたら、君の先祖と、マークの先祖がどこか出会っていた可能性も…。ということは、光の祖先にあたるのかもサー」
「どうでもいいよ。ぼくはマークが好きだから、一緒にいたいだけ。そして力になりたい。それだけなんだから」

(マーク、君は世界で一番僕のことを知っているひとだ。そして僕のとっても大切な友達。この世界でいつまでもいられる二人はどれくらいいるのだろう。この世界で裏切ることのない本当の信頼はどこにあるのだろう。
僕の感じた友情は本物だと今はただ信じている。)


 一方、マークは…
「…ということは、私の親は神様に作られたということなのですか」
「それが一番納得しやすかった答えだったのね。でも魔法のようにこの地に降り立ったのではなく、特殊な進化を経て、この世に現れたのかもしれない」
「そんな、私が、誰かに決められて生まれてきたなんて」
「あくまで推論でしかないけれどね。いくら意思を感じる心を持って生まれてきてもわからないことがあるのは歯がゆいね」
「では、私は、これから悪魔たちと戦う運命を?」
「あのときに体験したとおり、マークに興味がなくても、悪魔がマークを狙っているね」
「そう言うことですか…。コンブさん、真実を知っているのは悪魔のほうのようですね」
「そのようね、彼等が何を隠しているのか。そして今から感じるこの漆黒の感情は!今から、何エイク後、何十エイク後、何百エイク後かはわからないけれど、彼等が何かよからぬ計画を立てているのがこちらに伝わってくるね。その黒の意思だけがこちらに届いてくる。そのときは、マーク」
「…はい」
「そして、その時まではマークの人生を楽しむといいね。これから必ず来る、恐ろしい時代…。その時まで、そのときに又会おうね。今はもう、帰るといいね」
「…でも、チーズさんは…」
「帰りなさい。マーク、ソーヤ、君たちはまだまだ、未熟ね。君達には悪魔と戦うほどの力はないね。その心と意思をこれからも鍛えるね。たとえ君に素質があろうと、今はまだ未熟。悪魔との戦いは意思と意思の戦い。そのことだけは忘れないように」
「コンブさん…」
「本当は私のほうが無理を言っている事はわかってるね。だから今は、人の世界に帰るね。そして人を超えないものとして十分に楽しんでおいで」
「力が足りず、すみません」
「さあ、もうお帰り」
「はい、約束です。いつか、必ず戻ってきます。」
「うん。まってるね」
「もっと大きくなって帰ってきます」
「君なら大丈夫だよ。(もう君はすでに私以上なのだから。)」
マークはコンブに背を向けると、ゆっくりと歩き始めました。
その歩いた後には、マークの体重で少しへこんだ道ができました。その道はゆっくりと、そして確実に伸びていきました。
その道が森の外側へと続いていき、やがて見えなくなるとコンブは思いました。

 マーク、それでいい、それで。君がはじめてここに来てから、君の事を見てきた。君のその奇跡を起こす力はきっと神様がこの世界に与えた、私達とは又、違うものだと私は思っているね。そして、やはり、君が私たちと一緒に戦う光の戦士としては思いたくはないのね。
 神様、もし私が貴方様のご意思に反する行動をしたのならば、お許しください。ただ、私はあの者にも慈悲を与えたいのです。いつも誰かに幸せを与えて生きてきたあの者にも幸せを与えたいのです。あの者の心の中、外側から、触れてみました。その心の中には、触れることのできない、そして見ることも触ることもできない、深い溝がありました。その奥底に眠る闇を彼は必死で照らそうとしていたのです。私にはできません。そのようなものに戦えなどどは言えません。彼は必死に自分の中で戦っていたのです。自分でも触れることのできない過去と戦っていたのです。それなのに、私たちの言っていたことは私たちの勝手な都合でした。彼には確かにあり余る光を持っていました。しかし、彼は肉体を持っているがゆえに、そのあふれる精神を持っている苦痛をも感じていたに違いありません。それでも、彼は彼等の世界に光をもたらす存在なのです。その使命を背負って生まれた者なのです。本来ならばその彼にそれ以上のことを頼む理由もありません。私は彼の幸せを願わずはいられません。彼がこの世界の幸せを願う以上に幸せになって欲しい…。


◆明日は生まれる日

 それから長い長い時間が経ちました。何エイクも何十エイクも平和は続き、その日もあの日のように、そしていつものように綺麗過ぎるほどの青の空。
ぽっかりと浮かんでいる一つの雲がゆっくりと流れていき、その空の下では緑の草原が風にたなびき、その一つ一つが今の生命の輝きを世界に散らせていました。
 その草原の中にある小さな丘の上には幸せそうにしている顔が今日もありました。
「ああ、マーク、今日もいい天気だね。こんな日に死ねたらどんなに幸せだろう。まるで神様の仲間入りができそうだよ」
「そうですね。こんなにいい天気だったら、何でもできそうです」
「この腕も、足ももう動かないけど、心は今でもあのままだ。それがうれしいんだ。心はいつもどこにでも飛んでいけるんだ。若いとき、心を鍛えてきて、本当に良かった。それだけがいつまでも衰えなかったのだから」
「ソーヤ…」
「明日は何の日だか、マークは覚えているかい?」
「はい、ソーヤの誕生日です」
「そう、ぼくの誕生日。明日、ぼく、きっと生まれ変わると思うんだ。マークとは又会えるよね。そのときは、きっと僕のほうからでも気づくよね」
「大丈夫ですよ。きっと大丈夫です」
「君の奇跡だけはこの世で絶対に信じることのできるものだったよ」
「はい、私の奇跡は絶対ですから…。だから…」
「そんな、悲しそうな顔、しないで。僕が悲しくなるじゃないか。少しの間のちょっとの別れじゃないか。それに君にはまだやることがあるんだろ」
「はい」
「そのこと、ずっと気にかけてたの?」
「いいえ、もう、ずっと忘れていました。何もかも、忘れて、ただ、私は生きていましたよ」
「フフフ、マークは優しいな。最期くらいは嘘なんてつかなくてもいいのに。そんなこと、気にする僕じゃないのに」
「本当は…今でも、気にかけていることです」
「そうだよね。僕は今から、この宇宙の中の一つに、なるんだよね。僕は天使に、なれるかな」
「なれますとも!!ソーヤはこの世で一番素晴らしい存在になるんです。そしてこの世界を導く、コンブの森の住民達に影響を与えていくんです」
「どんなに、素晴らしい、世界だろう、ね」
「どんなに素晴らしい世界でしょう」
「マーク、僕の、一番の、友、達…」
ソーヤは静かな声と共に、幸せそうなほほ笑みをを浮かべ、ゆっくりと目を閉じました。
「ソーヤ、ソーヤ?」
「………」
「ソーヤ、…いつまでもいつまでも私たちは友達です。その友情はいつまでも崩れることはありません。なによりも強かった力。それがあなたでした」

 それから数日後、マークはコンブの森に向けて歩き出しました。ゆっくり、ゆっくりと、いつものペースで歩き始めました。
 その途中で、マークはずっと昔、ソーヤがまだ本当に小さかった頃、ソーヤに向かって喋った台詞をぼんやりと思い出しました。
『ソーヤ、ソーヤ、この世界はどこまでもどこまでもつながっています。私がどんなに遠くまで行ったとしても私達は同じ空の下にいます。私がどこまでも行こうとソーヤは一人ぼっちではありません。同じ空の下で生きる私がいるのですから』
その台詞を思い出した後、マークは独り言を言いました。
「空はいつまでも続いている。いつまでも、どこまでも続いている。宇宙とも、ソーヤの心とも。同じ宇宙の中で生きる友達がいつまでもいるのですから、ですから、私も一人ではないのです」


「コンブさん、お久しぶりです」
「マーク、来たね。やっと来たね。待っていたよ」
「全てが終わりました」
マークは確信した心で言いました。
「そうか。…もう思い残すことは?」
「ありません。これから、私は?」
「この世界とつながってもらうよ。それが君のこれからの戦い。この世界に根を下ろし、そしてこの世界を見守ってほしい」
「そうですか。私の旅もついに終わるのですね」
「君はよくがんばったね。君はこれからは、君の心を、君の光を伝える立場になるのね」
「そうですか。私の心をこの世界に伝えるのですね」
「そう。それが君の愛した世界のためにするべきことね」
「はい。私はこの命ある限り、この世界を見守ります」
「そう、この世界は意思と意思の戦い。今、君の中には真実が存在しているのね。それを忘れなければ、大丈夫ね」
「長い長い旅でした…」
 マークはそう言った後に大きく息を吸い込みました。そして本当に長い旅だったと心の中で繰り返し、ゆっくりと息を吐き出しました。


 まもなく、コンブの森には大きな大きな樹が姿をとどめる事になりました。マークはついに立ち止まり、根をおろす安住の地を見つけたのです。

 後にマークは半生生物を通して、多くの人の中へ入っていきました。その人達は、マークのことを知らないでしょう。しかしその意思だけは受け継がれ、浸透していくのです。
 マークの心を受け入れ、そして吸収できた人は、マークが感じた素晴らしい気持ちを共に体験することでしょう。素晴らしいものを素晴らしいものとして感じることのできる素晴らしい気持ちを持つ心はいつまでもその気持ちを忘れることはありません。
それが素晴らしい世界を作るのに役立ったら、とマークは思います。

 マークは深い深い眠りへと落ちていきました。全てを忘れるように眠ったマークはその前に小さな幸せの中で過ごしたある時の夢を見ました。それはいつまでも忘れることのなかった一生の宝物になった思い出です。


◆ 黄金の再会、その意味。

 それはいつか、ソーヤがコンクールに出展して、みんながそれを見に来たときでした。
 あの日も、いつものように、そしてこれからはもう見られないような、綺麗過ぎる青の空。青い空もやがて色を失い、取って代わるように赤に染まり、その赤い空も光り輝く様々な色を引き出すかのように照らす闇へと変わっていきました。
 そんな空の下でみんなはマークのいつもいる公園の脇にある野外レストランに集まって一緒に食事をしていました。
もちろんそこにはマークもいました。
今やマークはその公園で有名になっていましたから、別にマークがそこに一緒にいても誰も気にとめるものはいませんでした。

「なんか、こんなに沢山の人がいっぺんに集まるなんて、夢みたい」
ソーヤは、ほっとしたような表情で言いました。
「そうね、こうしてソーヤと一緒に食事をするのもなんだかとっても久しぶりみたいだわ」
シーネも嬉しそうな顔で答えました。
ジェロケモ「そうか、なんだか悪い事をしたな、私は君に一度も家に帰れとは言わなかったからな。私は自分の絵を描くことで懸命になっていて、そんなことを気にかけたこともなかった」
ソーヤ「いや、いいんだよ。僕もすっごく毎日絵を描くことで忙しくて、そしてそれだけで頭がいっぱいだたったからさ。もちろん、母さんの心配もしたけれど、こんなところに来たら、弱音も吐けないし、次に会うときにはもっと、大きく、そう、大きくなって、それじゃないと帰れないって思ってたんだ」
ポーラ「でもそのおかげでこんなに絵がうまくなったんじゃないかな」
トリトム「ソ、ソーヤは、全然、恥ずかしく、ないほど、今は、すごいぞ」
ソーヤ「うん、ありがとう。でも、もう一つ、不思議なことがあるんだ。それって、僕の才能なのかなって事。とっても不思議なんだ。全然僕自身そう思わないんだ」
トリトム「それ、どういうこと、だ?」
ソーヤ「うん、マーク、君の力なんじゃないかって。時々そう思うんだ」
マーク「私の力ですか」
ソーヤ「なんだかわからないんだけど、マークが近くにいると自然と力が沸いて来るんだ。そして何でもできる気になるんだ。だから今までやってこれた気がする」
マーク「そうなのですか。でもそれは私がソーヤに何かをしたということとは少し違う気がします。やはり、ソーヤが努力をして、それが結果につながったのではないでしょうか」
ソーヤ「どうなのだろう。何かわからないけれど、マークには素晴らしい力を感じるんだ。誰もが持っていないような素晴らしいものを」
そう言うと、ソーヤは一息おいて、紅茶をすすりました。トリトムは眉を寄せながらマークを見ています。そしてマークに話しかけました。
トリトム「な、なあ、マーク。おれ、と、マーク、いつか会ったことないか? おれ、昔のこと、忘れてること、いくつかあるんだ。思い出せ、ないんだ。でも、マーク、君には…」
マーク「トリトム!!そうですか、私はあなたのことを知っています。名前が同じだけだと思っていました。あなたはあるおじいさんのところで暮らしていませんでしたか」
トリトム「そ、そうだ」
マーク「その前はみなしごだった。そうですね?」
トリトム「みなしご? 多分そうだった」
マーク「ではそうですよ」
トリトム「マーク? マーク!もしかして、あのマークなのかい…
この温かい感じは、そうか、僕はずっとそれが、ロッペじいさんの、温かさと、勘違いをしていたよ。そうなのか、あの記憶の、かなたにある、歩く木、そして、マーク!そして、ある日、大金をこっそり、置いて、そのまま、去ってしまった、マーク。探しても、見つから、なかったのは、長い旅をしていたからなんだね」
マーク「トリトム…。そうです。私は長い長い旅の途中でした」
トリトム「そうだ。そして、僕が独りぼっちになったときに、頼ったのが君から、もらったお金なんだ。君には、なんて、お礼をいったらいいのか…」
リミント「奇跡じゃ。やはり、お主の持っているその力は、ソーヤの感じたものなのかもしれないねえ」
ソーヤ「マークとトリトムが知り合いだったなんて。ふーん、おかしなものだね。そして、この再会は素晴らしすぎるよ」
ポーラ「こんなことってあるのね。私とソーヤがこの町で再会したことでも私にとっては奇跡のようなものだったわ。それなのに、この町は、マークとトリトム、そして私とトリトムの再会も果たしてくれた。今、思い出したわ。マーク、私はずっとマークに会いたいって思ってた」
マーク「ポーラ、なぜです?」
ポーラ「笑っちゃうわよ。私は、マークのこと、王子様だと思ってたのよ。ずうっと昔のころのことだけれどもね。ソーヤが一生懸命、雲の上の木の王子様っていう絵本の説明をするの。その時の私は、マークのことを見たことがないから、私はソーヤの話しを信じたわ。でもそれは、マークが本当の王子様だっていう勘違いを信じてたのよ。ソーヤが一生懸命、これはマークの事だって言うのだもの」
ソーヤ「ハハハ、そんなこともあったなあ。あのときは本当に子供だったからな。でも、僕は今でもそれをどこかで信じてるんだ。だって、マークはいつでも特別だもの」
マーク「フフッ、ソーヤはいつまでも子供の心を持っているんですね。私はそんなところが好きですよ。そして、そんな純粋な心があの綺麗な絵を描くために役に立っていると思いますよ。それが魔法の答えなのではないでしょうか」
ソーヤ「そんなことないよ」
ジェロケモもソーヤに話しを合わせて言い出しました。
ジェロケモ「私もね、ソーヤの言うことが少しはわかる気がするんだ。マークからはなにか、感じるんだよ。はじめて君とあったとき何に一番びっくりしたかわかるかい。それは君の姿じゃない。私はあの時いまが夜なのかどうか一瞬わからなくなったんだ。そんな馬鹿らしいことと思われるかもしれない。でも、そう感じたんだ。君の中にある光が眩しすぎたんだよ」
マーク「眩しい…ですか?」
トリトム「そうか!、それが、僕の中でも、それを忘れずにいることが、できた、んだ。その眩しさが、心の奥底で輝きを失わずに、ずっと残ってた、んだ」
トリトムはそう言いながら、マークと初めて会った時のことをゆっくりと思い浮かべていました。今まで思い出そうとしても思い出せなかったわずらわしさはもうどこにもありません。今は、あの日のことを一つ一つ思い出すことができます。余りに鮮明に思い出せたので、やはりそのマークの持つ眩しさ、輝きを疑うことなどできませんでした。
トリトム「あの日のことを一つ一つ思い出すことができる。あの日の言葉まで、あの日の喋り方まで思い出せる。あの日、暗い地面を見つめていた。暗い未来を見つめていた。でも、見上げると、そこには光があった。温かくて、柔らかな光があった。そんなに重要なことを忘れるなんて、僕、どうかしてた…」
マーク「トリトム、それはあなたにとって、もっと大事で、大切なことがあったからでしょう」
トリトム「なんだいそれは?」
マーク「あなたにとっては私よりも、ロッペさんが大事だったのでしょう。そしてその強い想いがつなぎとめていたからロッペさんのことを忘れられなかったのです」
トリトム「……そうだ。今まで悲しいことがたくさんあった。でもロッペさんといたあの時だけは忘れるわけにはいかなかったんだ」
マーク「それが大事なことなのです。強い想い。そして強い意思。それはどんなに離れていても距離を越えて届く力なのです。あるときにはそれは時間さえも超えます」
(そうですよね、チーズさん。あなたは今でも私の思いをいつでも感じているのですよね。そしていつか又会えるんですよね。)
ポーラ「想い…」(私の想いも全てを超えて届くのかな。)
リミント「想い、そう、想いは未来への道を開く一つの鍵。マーク、お主は今よりももっと大きくなる。そして、また長い旅に出る。その後姿が見える…」
ソーヤ「マーク。またどこかへ行ってしまうの?」
マーク「私はいつでもソーヤのそばにいます。安心してください」
ソーヤ「リミントさん、でもそれが見えるんでしょ」
リミント「あたしには見える。マークはこれからもこの世界に必要な存在。そして大きな世界を静かに見守っている姿が見える…」
ソーヤ(ああ、そうか、やっぱりそうなんだ。どこかでわかってたんだろうな。いつまでも一緒にいれたらいいなって思ってたけど、やっぱり僕は僕、マークはマークなんだ。そして、違う道を選んでしまうんだ。この世界に必要…マークはそこまで大きいのかい? 君の世界はどこまでも広がってるのかい?)
トリトム「この時間…。たとえそうだとしても…」
トリトムが話し始めました。
トリトム「例え、マークが遠くに行ったとしても、僕はこの瞬間を大切にするよ。いつまでも忘れないよ。このことは」
ポーラ「ええ、私も、マークのこと、ずっと忘れない。マークがいつまでも近くにいたって事。マークの言葉、匂い。忘れないよ」
マーク「私は…いつでもみんなのそばにいますよ。私がずっと欲しかった日常がここにはあるのですもの。私が望んでいたものがここにはあります。それで十分じゃないですか」
ソーヤ(違う、それは、君が特別だからだよ。君に日常は似合わないからだよ。それを誰かが決めたからだよ。でも、それがもし叶うのなら、僕は君のそばにいたい。)
マーク「ソーヤ?」
ソーヤ「ん?」
マーク「どうしたのですか、さっきから黙っていて」
ソーヤ「ん、んん…。なんか、ずっと忘れてたなって。こうやって、幸せな時間を過ごすこと。みんなとの時間を共有するってこと。そしてここまでたどり着くまでの道のりを…」
ソーヤはやわらかな視線で周りを見渡しました。この世界、今だけは時間さえも自分の味方をしてくれている。ソーヤは感じていました。この黄金の時間の中で笑っている自分たちのことを
ソーヤ「今だけは許されているんだな、きっと」
ポーラ「なんか、今日のソーヤの話、難しいね」
ポーラが首をかしげながら言いました。
ソーヤ「ハハハ、いつもはもっと子供らしいこと言ってる?」
みんな「ハハハハハハハ…」

:(黄金の再会…ここにもし、ロッペがいたら、それが叶ったのだろうな。しかしそれでもロッペには慈悲を与えられた。
彼の背負った不条理な罰はこの時代にて開放されたのだ。)

マーク「チーズ…さん?」

チーズ(さすがはマーク、この場に水を差さないためにもさっさとここを去るか。いつか、また遊びに行くから、またな。しかし何だ、この世界に満ちている悪意は。一体どこに潜んでいる? やつらは…。)

トリトム「どうしたのマーク」
マーク「いや、後ろのほうにチーズさんがいたような気がするのです」
トリトム「チーズ?」
マーク「そうでしたね。チーズさんの話をまだしていませんでしたね。チーズさんと出会ったのは…」
こうしてマークは今までしてきた長い旅の話をみんなにしました。マークの話が終わると、みんなはそれぞれに楽しい話をしつづけました。その時は誰にとっても忘れることのできない、本当に楽しい時間でした。

 マークは自らの長い旅の話をみんなにしました。しかし長い旅をしていたのはマークだけではありませんでした。
彼等は長い長い時の旅人だったのです。何千エイクも前、マーク、ソーヤ、トリトム、ロッペの祖先達は兄弟同士だったのです。しかしとある理由でそれぞれは世界中に散ってしまうことになりました。彼等は長い間世界中を流浪した末にやっとの思いで再会を果たしたのでした。
もちろん彼等がそれを知る由もありませんが、彼らの事を知っている使徒たちはその奇跡に注目せざるを得ませんでした。
もちろんそれはマークの持っている奇跡の力によるものです。

 後にマークがコンブの森で根をおろした後もマークの力はその世界のために十分に発揮されました。それだけではなく、マークの色々な知識はコンブの森の獣民達に影響を与えました。そしてそのマークの心も獣民達の中に行き、それが半生生物になったとき、彼等の中に住むマークが他の生き物の中に入っていくことにもなりました。



君の姿を見ることはもうできない
そして君の声を聞くことももうできない
でも、君がいたあの日のことを忘れることはない
僕らのつながりと
そして側にあったものを忘れることはない
誰かが側にいて、そして何気ないことに笑って
そんな毎日はとても楽しいから


耳を澄ませば、あなたの声が聞こえてきそう
風が吹けばあなたのささやきが聞こえてきそう
そして
後ろを振り向けばあなたがそこにいそう

あなたの優しさや温かさが好き
そしてあなたの持つその世界も
あなたの愛したこの世界も

あなたに出会えて本当に良かった