ゴッホと宮沢賢治

ゴッホ宮沢賢治には似たような特徴があると思う。
若くして亡くなり、お互いに死の予感を持っていた。
そして死ぬ前まで作品を旺盛に作り、未完の完成とも言うべき境地に達している。
ゴッホは亡くなるまで一枚だけ絵、「赤い葡萄畑」が売れた。
宮沢賢治は亡くなるまでに一度だけ詩集「春と修羅」を刊行した。
共に社会的に意味を成した作品が一つずつであった。


 宗教的熱意と制作に対する熱意が高いレベルでつながっていた事も注目すべき点である。
彼らは何がしかの使命感を持っていた。
そして作品を作ることによって自身の使命を「伝える」事が重要であると考えていた。
死が目前に迫ってもその事に怯えることはなかった。
むしろ勇み足で前身を続け、創造の神に献身的に仕えた。
消えゆく灯火ではなく、たぎる炎のような情熱。
その情熱が彼ら自身の命を短くした要因かもしれない。


 しかし、限りある人生だから、一瞬一瞬を大切にし、創作活動に打ち込むという姿勢は老年における晩年のスタイルと異なった魅力がある。
それはギラギラと輝く夏の陽光のようだ。その光は熱く、眩しい。