10日目。ブルジバラジネ3日目

今日でブルジバラジネは終わりだ。
食中毒(マンゴー)になってしまったせいで、大切な一日が無駄になってしまい、
早くもブルジバラジネキャンプ最終日となってしまった。
今日は理由はよく分からないのだが、上條クラスと福島クラスが同じ教室の合同授業となった。
屋上まで行くのが大変という理由かどうかは分からないが、中村クラスが二階の私達と違う教室で行っていた。
今日は「版画」、「言いたいこと」の二つの授業を行った。
版画は4つから6つの線をクロスするように作ってそこから縞々の模様を作るというもの。沈み彫りと浮彫りの両方を一つの版の中でやりたいというのが上條先生の狙いだった。そのことに子ども達が気付いてくれていてくればいいが。

木を彫るからといって、力をやたらめったら入れる必要はないのだが、子ども達は熱中してつい力を入れすぎてしまう。
そのために手を切ってしまう子が毎回いるのだが、それは仕方のないこと。怪我をすることを経験した子は次から怪我をしないように気をつけるだろう。それ、すなわちインディアンの教え。
大事の前の小事ですな。

抽象的な絵を作ることに対して自分は少々反対だった。
子ども達がなぜそれをしなければならないのかが分からないと思うと思ったからだ。しかし、はじめてみるとさして子ども達も疑問を感じている様子もないし、それぞれにやっていた。
パレスチナの子は素直でまじめな子が多い。だから先生の言うことに対して反論を言ったり、自分の考えを堂々と述べることはない。
美術に関して言えば、大人にとって多少扱いにくくても自分の考えに沿って行動する子の方が将来性がある。

版画の授業は大変だ。
彫る作業よりも、プリントする段階でうまく刷れるようにサポートするのが大変。子ども達はすぐに刷りたくて並ぶし、インクをきれいに塗れず、版を汚してしまう子がいたり、紙を汚してしまう子がいたり。
少ない先生の手と目で全員を見切れるわけがない。
子ども達を順番に見ていってやっとこさ終わらせる。
終わったら終わったで先に終わった子がつまらなそうにしているので気をつけなくてはいけない。

授業終了後、ブルジバラジネに置いていく荷物と バダヴィーに持っていく荷物、作品と荷物と分けてまとめた。

その後、家庭訪問をして、ナハル・エル・バレドからブルジバラジネに避難して来たパレスチナ人の話を聞いた。ニスリーンやジャマールが一緒に来てくれてアラビア語と英語に訳して話してくれた。
それでも自分にとっては英語が難しくて聞き取れなかったが。
そのパレスチナ人はアンルワで先生をやっていたらしい人で、ブルジバラジネにすむ親戚を頼って避難したのだという。
家族をイスラエルに殺されたと言っていた。
この国に住むパレスチナ人の殆どは家族、友人、親戚など、誰かしらが死んでいる。レバノン人であってもイスラエル軍に家族や有人を殺された経験を持つ人が多いのだ。
この国は悲しみに支えられているのかもしれない。