二日前の話の続き

日本と西洋の美術のあり方、マーケットの違いなどについて。
明治時代に入って日本人は西洋から入ってきた様々な文化に驚いた。鎖国の中で取り遅れたと、正直に思ったのだろう。また自国が優れていなければ植民地になるのではないかとの不安も政府高官の人たちは思ったことだろう。
そこで日本は多くの西洋の文化を取り入れた。政治、教育、産業技術、建築、など。その中の一つに美術もあった。日本人は素直というか、謙虚というか。今では日本人もそれまでの文化の良さに気が付いているのだが、明治時代の人間はこれまでの美術はだめだと思った。絵は油絵になっていったし、彫刻も木彫りや牙彫りだったものが粘土による塑像に大きく変わった。日本は他国の文化を真似し、それを日本流にアレンジするのが得意である。西洋の文化を取り入れる前の日本の文化というものは殆ど中国から輸入してきたものなのだから。

さて、無理やり西洋から持ってきた美術も日本人の血に合わないものだから何となく、日本人が作ったようなものになる。美術も教育の中に食い込んでくるし一般化されていくのだが、それらは行政側の努力によるものであって個人が美術を愛好し、美術界を育てていく風潮がなかなか育たない。その大きな流れが今でもあって、美術館は建つ、企業が絵画や彫刻(銅像が多いだろうか)を買う風潮があっても美術愛好家の「個人」が買うということはなかなか少なく文化を創造する域まで達していない。
美術文化の創造は行政にゆだねてしまっている状態にある。ある意味責任放棄ですわ。


続きは明日!