ヴィレッジ見ました。

相変わらず、シナリオに力入れてますね。シャマランさん。

「箱」の中に何が封印されているのか?
「彼ら」の正体は?
「森の外」には何があるのか?
最初に鑑賞をする人はまず、上の謎を解くことになると思う。

村人の姿について、真実のありかについて、そして森の外に生きる「私達」についてなどは鑑賞後に思い巡らすことになるだろう。
私達はもちろん、「森の外」の住人であり、純粋な存在ではない。人間社会の中で毒され、悲しみを背負ったまま生きている。純粋でないばかりかあらゆる欲望に毒されている私達は村人達の言う「語ってはならない者」であり、「彼ら」であり、化け物なのだ。
村人達が森に住む化け物に対しておびえていたのは実は正しい反応であったし、事実でもあった。
社会に毒された私達は「村人」達のように純粋に愛を信じたり、語ったり思ったりはできないのだろうか。その問いをシャマランが私達に対して投げかけているのだ。
その応えはアイヴィーの台詞の中に隠されている。
「あなたの声には優しさがある。予想していなかったわ」
森の外にいる私達全員が他人を悲しませる存在ではない。私達にも他人を愛することは出来るし、無駄に人を傷つけようとは思わないだろう。また、実際にわが身を投げ打って世の為、人のために活動している人もいる。
森の外にいる私達が「怪物になるか」「村人」になるかは私達次第だ。

僕はヴィレッジからそのようなメッセージを受け取った。


また後で考えて、どんな理想郷というものも何らかのきっかけで崩壊するものなんだろうと思った。この村も3世代、4世代くらい(またそれ以降も)に崩壊する可能性があり、そういう意味でもウォーカーの「悲しみからは逃れられない」という台詞がじっくりと重く鑑賞者にのしかかってくる。
その悲しみと対比される形で愛が語られている分、希望も見えるのですが鑑賞者がどっちに傾いて見るかで映画の印象が変わりそう。