夢の時間

 夢を見ていた。父が偉そうに飲んでいて、あたりに文句を散らし、母がいさめている。私は下をうつむきながら夕食をとっている。私と父に会話らしき会話はなく、母ともろくな会話がなかった。何が不満なのか、父が母を殴っている。これから私もなぐられるということはいつもの経験でわかった。私は、目をそむけ、急いで部屋に戻り、ドアを閉めた。

 ガンガンガン……
 ドゥンドゥン……
 シシシシ…
「シンボイ、シンボイ、困った事があったネ。起きて」
「シンボリ!」
この国には、「リ」と言う発音がないのか、彼、翻訳兼、案内人のベベニッチ(愛称ベン)はどうしても「イ」と言う発音しかできなかった。かくいう私もベンと呼んでいる彼の本当の名前を言えずにいた。
「エンジンが止まってしまったよ。ここから漕いで行かないとダメネ。」
「オンボロだな」
「そんな事ないヨ、これ、新しいのボートね」
楽に5年は経っているであろうボート。それでも物の入りにくいこの国では新しいのだろう。
「しょうがない、漕ぎますか」
 このことを予想していたかのように、この小型ボートには、オールがのせてあった。エンジンがイカれた事は、多少私をイラつかせる原因になるものだったが、オールを漕ぐことには対して不満はなかった。長い旅をすればこういったいくつものトラブルがあるので、私はこれまでも何度かオールを漕いでいろいろなところを渡った。ここはまだエンジンがあるだけましだ。エンジンさえない国だってある。
 私達は、今、ある島に向かっていた。小さな島だが、とても歴史のある島らしい。何でも有史以前からこの島には人が住んでいるとか。その島の名前は、――ベンと同じくうまく発音できないが――「ヴァザルゴ」と言うらしい。それから1時間弱、私たちは漕ぎつづけ、その「ヴァザルゴ」という島にたどり着いた。島の近くでエンジンの調子が悪くなったからよかったものの、帰りの事が心配だった。あいにく私もベンも機械についてはたいした知識をもっていない。
 私たちはボートから荷物を下ろし、島の村へ向かって歩き出した。ベンによると、この島にある村はそこの一つだけらしい。取材だといえば、このような島にくる理由にもなるのだろうが、私の場合、それが仕事としてなのか、それとも汚れきった場所からの逃避行動なのかわからなかった。しかしこれだけは言える。私はこういう場所がなによりも好きだ。この島に着く前からもう空気が違っていた。きっとここの人達は、裸に近い格好をしているのだろう。そして動物を狩って毎日を過ごしているのだろう。
「ベン、ここから、どのくらい歩く?」
「この島小さいネ、だーから、ほんの数時間歩けば着くよお」
「来たことは?」
「2回くらいネ」
「そう…」
それから、1時間半ほどで、村へ着いた。私はもうくたくたになっていたのですぐにでも休みたかった。それからベンは、村長のところへ行き、宿の交渉をしていた。野宿の準備はしてあるのだが、ここの村でもし泊まらせてもらえるのならば、そちらのほうがいい経験になると思った。私達は、すぐに村人に囲まれてしまった。驚いた事にみんながみんな、服を着ていた。15年くらいは古い格好だけれど、服とズボン、女の人はスカートなどもはいていた。ポロシャツを着ているおじさんもいた。来る前のイメージと違っていたので、少しびっくりしてしまった。
 豪華な夕食(ヴァザルゴの人にとってであるが)がでた。何やらわけのわからない生肉だったが、前もって聞くと食べられないかもしれなかったので聞かなかった。おなかが空いていたせいか、何の抵抗もなく食べる事ができた。後でベンに聞くと、それは、エイとか、カメの生肉らしかった。生肉というのは新鮮なうちにしか食べられないため、その分、貴重なのだそうだ。
 夜はある漁師の家に泊まらせてもらった。少し腹の出た、ひげづらの漁師。肌は真っ黒でひげは白かった。顔は彫刻のように一つ一つのしわが深かった。何十年という漁師の経験が全て彫りこまれているようだった。かなり年をとっているようだった。私は何かの縁だと思って、明日の取材を彼に頼むことにした。彼は快く承諾してくれた。

 次の日、疲れているのにもかかわらず、緊張のために早く起きてしまった。漁師やベンはまだ寝ている。私は新たな空気を吸おうと外へ出た。そして村の中を歩き回り、散歩がてらに村の外まで足を伸ばした。日の出の直前だろうか、辺りは薄暗い。新鮮な空気、霧がかった幻想的な風景、そして太古の時代と見間違えそうな草々の色。私は何度も繰り返し空気を吸って体の中を清めようとした。何にも毒されていない世界、私の心はこういう場所を求めている。近くの草の中から音がする。何かの生き物がいるのだろうか。私はじっとしてそこの様子を眺め始めた。しかし、音が近づいてくるので私は更に身を縮めて待った。草の中から出てきたのは、小さな鳥だった。多分これは陸鳥だろう。つまりは、ダチョウや、キウイと同じように飛べない鳥なのだと思う。私は鳥に詳しくないので、その鳥について何かを説明する事は出来ないが、とてもかわいいと思った。私と鳥は目が合ったが、鳥は地面を突っついたり、掘ったりして、私にはかまわなかった。こんな鳥のために小さく縮こまっていたのかと思うとつい吹き出してしまった。だからといっていきなり立ち上がってはこの鳥をびっくりさせてしまうだろうから、微笑みながら鳥の様子を見ていた。
 あとでベンにその話をすると、その鳥は、ヴァザルゴクイナだと教えてくれた。普段は木の上で寝ていて、草の中に巣を作ったり、水の中でも上手に泳いだり出来るらしい。私の予想通り飛べない鳥らしかった。

 私は幾日かお世話になったこの漁師のことをいつしか親父さんと呼ぶようになっていた。毎日のように親父さんは漁に出て行った。ここは気候が温かいせいか、私の祖国のように朝早くから漁をすることはなかった。魚はいつも海にいる。船はエンジン付きのボート。この島では珍しいのだろうか。
 ある日、親父さんは家族の話をしてくれた。親父さんは昔、家族がいたらしい。けれど、いつまでも続くこの島の古い風習に耐えきれず、出ていってしまったのだという。親父さんは無口な人だった。時々、海と対話をしているようだった。すぐに魚を見つけては網で捕らえていた。
 またある日は、銛を手に持っていたことがあった。漁の際ボートの舵をとるアフナウという若者が乗りきれなかったのでベンを置いて行ったことがあった。言葉のわからない不安はあったが、元々漁師は言葉が少ないのだ。
そして何かわけのわからないことを言っていたが、すぐにそれがなんなのかを知った。親父さんは亀を追っているのだった。海は綺麗で、そして浅かったので、底まで見えた。亀はすぐに見つかった。亀は必死に逃げていたが、すぐに追いつかれ、甲羅に銛を打ち込まれた。そしてロープで手足を巻かれてボートの上に上げられた。その日のうちに亀は料理された。私はほとんど食べることが出来なかった。ベンによると、今は亀達の産卵の時期なのだという。
 島では犬を飼っている家もあった。親父さんに、犬は食べるのかと聞くと、食べないと言った。犬は飼うだけだという。

 毎日のように親父さんにくっついているので、ある日、取材のほうはいいのかと聞いてきたことがあった。(*途中のベンの通訳は省略してある。)
「別にいいんですよ。何かを調べるという明確な目的があってここに来たわけではないのですから」
「そうか。シンボイはここにいて退屈ではないか」
「いいえ、退屈はしていませんよ。親父さんは退屈しているのですか」
「そうだな」
親父さんはしばらく黙って考え事をしていた。
「昔は、家族がいた頃は退屈を感じなかった」
「後悔を?」
「今はいつも一緒に漁をやっているアフナウに色々な事を教えているからな」
 私はいつのまにかこの親父さんに対して親しみを持つようになっていた。最初に彼の事を親父さんと呼んだ時にもう親しみがわいていたのかもしれない。私の父はとても親父と呼べる人ではなかった。いつもあいつと呼んでいた。他人のように思いたかった。私は世界で一番父を見下していた。いつも酒を浴びて、借金をして、母子を殴り、偉そうにしている。たまに豪華な肉をもって来て家で食べたが、それが盗んできたものだと知ったのは、彼が死んだ後になってからだった。

 ある日、親父さんにある遺跡につれていってもらったことがあった。村から30分ほど歩いたところにある洞窟が遺跡だった。島の親父さんは遺跡に行った後、長い間黙っていた。若いアフナウは初めて見たものに驚いていた。私たちがその意味に気付くように長い時間を置いたのだ。それから親父さんは'夢の時間'という伝説を話し始めた
 人類の歴史よりも前の話に'夢の時間'と呼ばれる歴史があったのだという。そこの遺跡には、まだなお壁画が残っている。この壁画は島に上がった人間たちが描いたものらしい。'夢の時間'の時代、人類はまだ体を持っていなかった。海の中で漂っていたのだという。私なりの解釈では心を持ったアメーバというところか。島の周りの海にはたくさんの亀が住んでいて、海の上にはおおわし大鷲が住んでいたそうだ。大鷲は毎日亀を海の中から捕まえては食べて生活していた。しかし、ある日、大鷲は大きな大きな亀を見つけた。鷲はその亀を食べたらどんなにおいしいだろうかと考え、さっそく捕まえようとした。亀はすぐに鷲の鋭い爪に掴まれた。しかし、鷲はあまりに重かったために亀を引き上げることが出来なかった。今までの猟で失敗したことのない鷲はたいそうプライドを傷つけられて、意地でも亀を引き上げようと思った。しかし、いつまでも大亀を引き上げることができずに彼らは岩になってしまったらしい。
 洞窟の壁にはその様子が絵によって描かれていた。そしてその他には、その頃にヴァザルゴにいた動物らしい生き物が描かれていた。
「これは亀だ」
アフナウがそう言ってその方向へ指差した。それを目で追う私たち。親父さんは何も言わずにうなずいていた。私にはよくわからなかった。亀といわれれば亀に見えるけれど、鳥が翼を広げているようにも見えたのだから。もう少し見ていると横ばいになっている人間のようにも見えた。
 例えどちらにしろ、そしてそれ意外の何かであっても、私は感動した。この壁画が有史以前のものなのかどうかを証明するものは何もない。しかし、'夢の時間'の伝説の持つ神秘性、そしてその時代の人達の高い精神性に対して素直に感動せずにはいられなかった。

 親父さんはその後に岩になった大鷲と大亀のある海岸へと連れていってくれた。
「あれが伝説の大岩だ」
親父さんの指差す方向、確かに大きな鷲が翼を広げ、大きな亀につかまっている。さらに大亀の下のほうはちゃんと海に浸かっているではないか。
「もう一つ、あの伝説には続きがあってね。ほら、あそこには人間の姿をした大岩がある」
「すごい」
アフナウはそれを見て感嘆の声を上げた。
「ただし、あれは人間が作ったもので人間が大岩になったものではない」
親父さんは落ちついた静かな声で話し続けた。
「人間はその後に体を持った。けれど、元々なかった体のことだ。人間は自分の姿が変わることを怖がった。それで自分たちの姿を忘れないように岩に刻み付けた」
「面白いですね」
「ああ、当時の人は体の中に心があるとは考えていなかったようだ。魂を不滅の存在として考えた。だから体の変化を恐れたわけだが、あの壁画もきっとその考えとつながるものがあるのだろうな」
アフナウの見つけた絵は亀だかなんだかわからなかったが、明らかに人間とわかる絵も壁画の中にはあったのだ。何かの儀式を行っているものや、猟をしている様子、踊っているようなものもあった。
 どの国にもどの地域にも伝説はあるが、私はここの伝説に胸をうたれるような気持ちがした。しばらくの間、誰も何も話さずに海と大岩の風景を眺めていた。もうそれ以上に言葉を出せなくなっていたのかもしれない。あるいは何も言う必要がなかったのだろう。私はこの風景を見ながらなぜだか、昔のことを思い出していた。いつだったか、母と海に行ったことがあった。記憶は途切れ途切れでいつ、何の目的で行ったのかも覚えていない。夏の暑い日だった。そこは岩場の海岸で、私はカニ取りをしていた。母もすぐ側にいて、私がカニを取ったり、逃がしたりする様を一緒に一喜一憂していた。

 そろそろ取材期限が迫っている。夕食の時に私はそのことをなんとなく口にし、親父さんとの別れを惜しんだ。親父さんもまた私が帰ることを本当に残念がっていた。しかし親父さんは言う。
「シンボイ、明日には帰りな」
「親父さん、なぜです」
「少し早く帰って余った時間はおふくろさんのために使いな」
「親父さん…」
「帰りな。シンボイにはお袋さんがいるのだろう。私のようになってからでは遅いよ。さあ、今からでもいい、孝行してきなさい。やはり、家族と一緒にいられないのは淋しいよ」
「ワタシも、同じ気持ちですネ。ワタシのお袋、2年前にナくなりました。ワタシ、もっとお袋に何かしてあげたかった」
ベンが通訳をしながら口を挟む。彼は真っ直ぐに私を見ながら悲しみを込めて言った。

(私は父と同じことをしてしまっていたんだった。母さんを淋しがらせて。)

 次の日、私はまたもや早く起きた。そしてまた散歩へと出かけた。神秘の島、ヴァザルゴ、私はここへ来て本当に良かった。そう思いながら歩いていると、またヴァザルゴクイナに会ったので、写真を取った。残り枚数は1枚となっている。最後の写真は私と親父さんとアフナウとベンとで撮ろう。個人的な写真になってしまうが、一枚くらいはかまわないだろう。きっと没になる写真だが、私にとっては大切な一枚になるだろう。
 最後の朝食、特別なものは何もでなかったけれど、そのほうがうれしかった。今はもう懐かしくさえ思えるこの島での食べ物。朝食の後は村長のところへ挨拶に行き、村人たちにも別れの挨拶を交わした。私が帰ることはこの村では事件的なことなのだろうか、村のみんなが家から出てきて私達のことを見守っていた。村人の温かさを感じたのは、浜辺まで見送りに来てくれたこと。全員ではなかったが、ほとんどの人が見送りに来てくれた。だから私達は見送りに来てくれた人達全員で写真を撮った。この島でも郵便は送れるだろうか。もし出来るならば、この写真はぜひ送ろう。もし出来なかったらベンのところへ送って彼に届けてもらおう。
 私は親父さんとアフナウと握手をして別れた。親父さんは力強く私の手を握ってくれた。漁師らしく小柄でも力は強かった。
「親父さん…。短い間だったけれど、私はあなたのことを本当の親父さんのように思っていましたよ」
親父さんは漁師独特のうなづきを見せて後は何も言わなかった。深いしわ、深い瞳、白いひげ、低い鼻、がっしりとした肩、少し出た腹…。私はその一つ一つを忘れないように印象付けて、ゆっくりと船に乗った。そして思いついたようにもう一言だけ付け加えた。
「また来ても?」
「いつでも歓迎するよ。」
「サンシャ・デ・マリーソ!! マリーソ!!」
「サンシャ・デ・マリーソ!!」
私達はお互いに最上級の喜びと感謝の気持ちを表した。

帰りの船は手漕ぎだったために色々なことを考える余裕ができた。


 人類の歴史の中には、夢の時間と呼ばれる時代がある。それは遥か昔のことで、確証性がないために書物の上には存在しないが、この時代のことは誰もが知っている。
 あなたが生まれる前のことだと思えばいい。人は誰でも生まれる前の記憶を体に刻んで持っている。夢の時間は百年前であるし、千年前であるし、一万年前であるし、十万年前である。人のいるところあるところに必ずあるのが夢の時間なのだから。私らは私らの知らない間にひょんなところで夢の時間のことを垣間見る。
 そしてそのことを時々思い返したり、考えたりするけれど、ほとんどの人はそれ以上深く入らないものだ。中には忘れてしまう人もいる。信心深かった古代の人でさえ夢の時間について深く知るものはほとんどいなかった。
 夢の時間は様々に姿を変え、人の心へ入っていく。そして伝説も同じく姿を変えてゆく。
 私もまたこの島ヴァザルゴに出会ったことで夢の時間を垣間見た。悠久の流れの中で私の過去を見返す時間も出来た。長い間忘れていてしまったものも同時に蘇ってくるようだ。しかし、夢の時間は様々な角度から考えても私には手に余る難しい問題だ。それだけに帰りの旅は夢の時間の解釈を色々に考えることで費やされた